解説「菩薩の生き方」第十四回(5)

このような悲痛な――いや、シャーンティデーヴァは悲痛だとは思っていないでしょうが――普通の人から見たら壮絶なとも思える覚悟で、自分の自我を、衆生の幸せのために譲り渡す誓いを、シャーンティデーヴァは為しているわけです。
そして最後の一文も、すばらしいですね。
「私を誹謗し、その他損害を加え、また嘲笑する人々――これらすべての人々は、覚醒にあずかる者たれ。」
――つまり、自分のことを馬鹿にしたり、悪口を言ったり、あるいは様々な損害を加える加害者に対して、怒るのでも仕返しを考えるのでもなく、相手の非を叫んだりするわけでもなく、どうぞあなたたちこそ、覚醒に、悟りに至ってほしい、という祈りをささげているわけですね。
これらの一連の詞章は、客観的に分析すべき法ではなく、これを読む方本人が、心をこめて、読み、決意すべき法だと思います。
全くこの「入菩提行論」は、徹底して実践的なのです。世界はどうなっているとか、解脱に役立たないどうでもいい現象分析ではなく、これを本気で読み、心をこめて感情移入することで、実際に我々の心が安らぎ、菩薩の道に近づき、解脱に近づくための、極めて実践的な法なのです。
ですから、他の部分と同じく――もしかすると少し怖い気もするかもしれませんが、勇気をもって――心をこめて、自分の誓いとして、この部分も唱え、瞑想してください。それは皆さんの心を非常に安定させ、広げ、安らがせてくれるでしょう。
はい。これは読んだとおりですね。まあ、この最後の一文、とても――この『入菩提行論』の中でも有名な、よく引用されるね、素晴らしい一文ですけどね。
「私を誹謗し、その他損害を加え、また嘲笑する人々――これらすべての人々は、覚醒にあずかる者たれ。」
と。もちろん、菩薩の祈り、願いとしては、すべての魂、つまり誰々とかじゃなくて、すべての魂が早く覚醒、目覚めてほしいと。なぜならば当然、そうじゃない、目覚めてない状態っていうのはほんとに魂にとって悲惨な苦しみが大きすぎると。だから早くみんな真理に目覚め、悟りを得てほしいと思うわけですけども、ここでわざわざこの「私を誹謗し」云々って挙げられてるのは、もちろん不変なる祈りとして「みんな悟ってほしい」っていうのがあるわけだけど、でもほんとの正直なことを言うと、やはりわれわれにはまだエゴがあると。で、エゴから言うと、当然、実際には、自分を誹謗する人、あるいは自分に損害を加える人、あるいは自分を笑い者にする人、こういった人には、当然ネガティブな、あるいは、逆に攻撃的な心が湧きがちなわけですね。つまり人間のエゴの働きとしてね。
もう一回言うと、例えば普通の人でも、愛する家族や恋人、友人、この人たちの幸福を願う、これはできますよね。これは当たり前の話であると。しかし菩薩というのは、そうではない、自分との関係がどうであろうが、あるいは自分に対して優しい人であろうが厳しい人であろうが関係なく、あるいは自分に害を与える人であろうが幸せを与える人であろうが関係なく、みんなの幸福を願わなきゃいけないと。
で、この『入菩提行論』の全体を通して言えるけども、かなり荒療治が多いんですね。荒療治っていうのは、エゴを叩き直すための極端な荒療治が多いと。ここもそんな感じですね。つまり荒療治として、ほんとは自分が一番、ちょっと心が乗らない相手である、「わたしを誹謗したり苦しめる人々」、この人にターゲットを向けると。もう一回言うと、例えば、つまり、未熟な菩薩、あるいは未熟な修行者の場合、例えば、リアルな発想としてはですよ、「みんな幸せになってほしいな。でもあの人はなあ……」っていうのはあるかもしれないよね。「あの人のことを考えると、いや、あの人ほんとに昔からもうわたしをずーっと馬鹿にしてきて」とか、あるいは小さいころいじめられたとかね、あるいは本当にもう性格が悪くて、わたしもひどい目に遭ったと。「もう本当にあの人のことを考えるだけで心が苦しくなる。」「いやあ、もちろん菩薩の理想もわかるしみんな幸せになってほしいと思うけども、あの人だけは正直あんまり幸せになってほしいと思わない」って気持ちが、エゴとして心の中にあるかもしれない。でもこれは、菩薩としては大変な欠陥なんだね。当然そんなのでいいわけがない。
だから逆に、そこにこそ焦点を当てる。もちろん理想としてはみんなへの平等な愛がなきゃいけないんだけど、理想はそうだとしても、本音を言うとそうじゃない自分がいると。だからこそそこに焦点を当てる。ほんとは自分の本音、潜在意識が、一番幸福になってほしくないって実は思ってるかもしれない相手に対して、つまり自分を傷め付けてきた、自分に害を与えてきた、普通だったらもう憎んでしまうような相手に対して、「いや、あなたこそ悟ってください」と。「あなたこそ早く真の幸福を得てください」と。「あなたこそ真の覚醒の喜びに浸ってください」と。これをまあ、訓練してるわけだね。
だから、この部分もとても素晴らしい。だからこれも、繰り返すけど、しっかりと日々読み、あるいはもし自分の中でそういう、思い当たることがあるとしたら、そういった人のことを考えながら、この思いをね、何度も修習するといいでしょうね。
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