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解説「菩薩の生き方」第十五回(4)

 はい。で、この最後の、

「しかし全く、この入菩提行論には、本来は解説はいりませんね。この本文の美しさには、どんな解説も蛇足となってしまう気がします。しかし中には少しは、解説によって理解が深まる方もいるかもしれませんので、解説を書かせていただいています。本文で十分意味が理解できる方は、解説は読まないようにしてください。」

 ――この文章は、分かると思うけど、わたしの謙虚な書き方です(笑)。

(一同笑)

 シャーンティデーヴァと同じように謙虚な書き方だね(笑)。これはさ、分かると思う。これ、特に初期のころね、カイラスの初期のころに、ミクシィとかで書き下ろしを書いたんだね。だからまだカイラスも皆さんみたいなこういう真剣な修行者も多く集まっていず、そして、世にはちょっと傲慢な感じの精神世界や仏教があふれてると。だからまあ、あえてちょっとこういう、「まあほんとはいらないんですけど」みたいな感じで書いてるわけだけど、解説必要です(笑)。やっぱりみんな見てると、実際はもちろんほんとに、ここに書いてあるように、ほんとに『入菩提行論』が分かってたらいりませんよ、もちろん。で、ここで、なんでいらないって言ってるかっていうと、ほんとにそれが完全に自分のものにできてたら、ああいう、なんていうか短いセンテンスっていうか文章の方がパッパッと入ってくるんだね。うん。パッパッパッ――そうだ!と。
 例えば皆さんがね、『入菩提行論』の音源でもいいし文章でもいいけども、ああ、なんか苦しいな――一行読んだだけでパッと目覚めると。ここまでいったら、当然解説はいらない。その一行一行が自分を目覚めさせると。そこまで心がその教えの内容とマッチしてると。その場合は、逆にその『入菩提行論』のシンプルな本文そのものをパンパンパンパンと読んだ方が、心にパッパッパッパッと入っていくと。しかし、やっぱり多くの人を見るとそうじゃないんだね。「あれ? 分かってなかったの?」と。例えば『入菩提行論』はよく勧めてるから読んでるけど、『菩薩の生き方』は読んだことありませんでしたと。で、これを読んだら、「え、そういう意味だったんですか」――分かってなかったのかと(笑)。こういうのが多々ある。
 でもそれは、実際しょうがない。皆さん、ここでさ、つまりほかの勉強会でも、この菩薩の話とか菩提心の話っていうのはいろんな場面で出るから、皆さんはなんとなく全体的な、菩提心とはなんなのか、あるいはトンレンとはなんなのか、菩薩とはなんなのかっていうのは、そうですね、そこらの仏教学者やいろんな精神世界や仏教やってる人よりもかなり理解しています。しかし、実際にはもちろん、より深い意味がある。この『菩薩の生き方』の最初の方でも書いてると思うけど、わたしが最初に、昔ね、本屋で、すでに絶版になっていた、金倉さんっていう人が訳した『入菩提行論』を見つけたと。もう大変な衝撃だったわけですね。なんだこれはと。でも非常に不思議だったのは、それがもう絶版であると。そして、例えばダライ・ラマをはじめとするチベット仏教や、あるいはさまざまな大乗仏教、原始仏教その他いろんな仏教系の教えは流行ってはいたわけだけど、あまりここにクローズアップされてないと。『入菩提行論』ってあまり、こんなにもう最高とも言えるほどのものなのに、全くスポットが当たっていないと。
 ただいろいろ探すと、いくつかその解説はあると。パラパラ見ると、まあ、ここにも書いたけど、その金倉さんの絶版になったやつは素晴らしい訳なんだけど、他のものは、まず訳が変だと。そういう訳し方しちゃったらちょっとエッセンスが分かんなくなってしまう、みたいな訳がされてある。で、説明も不十分であると。しかも最も素晴らしいところを飛ばしたりしてる(笑)。え、そこなんだけどな、っていうところを飛ばしたりしてる。これは、ちょっとわたしが傲慢に言うとね、みんな分かってないのかと。この素晴らしさがなんで分からないんだと。そういう気持ちもあってこれを書いたんだね。
 つまり、こんな素晴らしいものを、物理的にはもちろん例えば本屋で売ってたりして、あるいは一部それを解説してる本も出たりしてるわけだけど、解説のポイントがずれてるし、その本文自体もおそらく理解されていない。もちろんその素晴らしさはさ、よくみんなにも言ってるけど、例えばダライ・ラマ法王がチベットから脱出するときに『入菩提行論』だけを持って脱出したと。あとダライ・ラマの言葉で、またもしどこかへ脱出するときはそれを持っていくとか、そう言ってるのもあるんだね。だからそれだけ重要視されてるっていうことは、詳しい人は知ってると。仏教、チベット仏教とかに詳しい人はそういうの分かってるわけだけど、しかし何がそこまで素晴らしいのか、その真偽っていうのは、多くの人には理解されていない。それで書き下ろしたっていうところがあるんだね。
 だからそれは、皆さんは一般の人よりは学んでるから分かってるだろうけど、ほんとにその一章一章の深い意味合いっていうものは、まあ多分、実際には全然分かってない人が多いんじゃないかと思う。だからその場合は、ちょっとここに書いてあることと逆になりますけども、やっぱり徹底的にこの解説は修習したらいいと思うね。
 もちろんさらにここから深めてより深い意味合いを考えたりとか、あるいはしっかりと自分がそれを身につけるように思索したりとかね。
 シャーンティデーヴァの生まれ変わりといわれているパトゥル・リンポチェっていう人は――この人が『入菩提行論』をチベットを広めたらしいんですけどね。この人の功績はまずその『入菩提行論』と、それから観音様のマントラ、これをチベット中に広めたんだね。で、今チベットで最も『入菩提行論』が優れた聖典とされていて、で、チベット人ほとんどすべてがいつも観音様のマントラを唱えてると。これをなしたのがこのパトゥル・リンポチェだったといわれるんだけど。シャーンティデーヴァ自身の生まれ変わりだったといわれてるわけですけど。この人が弟子に教える一つの方法、やり方として、『入菩提行論』の一章か二章だけを解説するっていうんだね。で、それを弟子は聞いて、その日は一日それだけを瞑想すると。つまり、それについてより深く心を没入させ、例えばその師が言ったことを何度も何度も咀嚼してその深い意味を考えていくと。あるいは自分の例えば人生、あるいは修行と照らし合わせて、より深い納得をしていくと。こういうことをやってたっていうんですね。
 はい。だからそういう意味でもこの『入菩提行論』の解説は、皆さんの心により深い納得をさせ、より深い理解をさせ、さっきから言ってる、菩提心を持ってはいるけども使い方分かんないっていう部分をちょっと解決してくれるものになるかもしれないので、ここに書いてある――ここはだから、ある意味では正しいわけだけど、よりかなり高いことを言ってるって言ったらいいね。「本文で十分意味が理解できる方は、解説は読まないようにしてください」と。「理解できたらね」と(笑)。

(一同笑)

 「理解できる人がいたらね」と(笑)。理解できるなら読まないでいいけども、そうでない場合、もちろんみんなそうじゃないわけだから――もちろん、繰り返すけどさ、『入菩提行論』の本文のいいところは、パンパンパンパンってエッセンスが入ってくる。だからね、まあ日々はそれを修習していいと思う。しかし、それとは別に教学として、この『菩薩の生き方』は定期的にしっかり読んで、心にその深い意味を植え付けるようにしたらいいと思うね。
 はい。で、このあと、先ほどの解説で出てきました『ラトナーヴァリー』の一部。まあ、これも素晴らしいね。ナーガールジュナの詩が載っていますけども。ちょっと時間がだいぶ過ぎちゃったので、じゃあこれは次回以降にしていったんこれで終わりましょう。
 はい。それでは全体的に質問等あったら聞いて終わりにしましょう。

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