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解説「菩薩の生き方」第六回(1)

2013年3月20日

解説「菩薩の生き方」第六回

 はい。今日は久しぶりの『菩薩の生き方』ですね。これは、おなじみのシャーンティデーヴァの作品である『入菩提行論』ね。この解説がこの『菩薩の生き方』ね。まあ、だから解説をさらに解説する勉強会みたいな感じになりますね。ただ、これはもちろん、非常に重要なね、内容の聖典なので、しっかりと根付かせるように学んでいきたいと思います。
 まあ、皆さんにもいつも言ってるように、やはり、修行法のさまざまなテクニックはいろいろあるけども、われわれの心の持ち方であるとか、志の持ち方においては、皆さんにお勧めなのは、やはり、一つはバクティヨーガ、そしてもう一つがこの菩薩行になるんだね。いつも言うように、バクティっていうのは、常に神に心を合わせる。そして菩薩行っていうのは今度は、衆生を幸福にする、衆生を救済する、衆生を苦しみから救うっていうことに対して、常に心を合わせるっていうかな――ことになるね。その両方をわれわれは持つ必要がある。
 両方を持つことによって、それぞれが持つ、なんていうかな、隙みたいなものがちゃんと補われて、まあ、より相乗的に、その二つのね、力が増していくと思います。
 バクティヨーガっていうのは、これはもういろんなエッセンスを学んでるだろうけども、簡潔に言うならば、今言ったように、常に神に心を合わせる。この神に心を合わせるっていうのは、もちろん皆さんのそれぞれの努力によって、言ってみれば、いつも言うように、皆さんの中ででいいんですけど、皆さんが例えば過去に今まで、一番神に心を合わせていたなっていう状態ね。これを日々、全力で維持し続けるっていうかな。これがやはりまずベースになりますね。未知のもの、つまりまだ経験してない領域はこれからもちろんどんどん修行して、開発し、神にどんどん近づかなきゃいけないわけだけど、じゃなくて過去に皆さんが一度でも経験した、ああ、ほんとに神に心を開けて、神に対する感謝や、愛や、あるいは精神状態が非常に引き上げられた状態、これを――これはもちろん、なんていうかな、哲学的な教えとかとは関係がない。まさに心がそこにカチャッとはまってる、あるいは引き上げられてる状態なんだね。
 で、それが、いつも言うように、何によってスイッチが入るのかっていうのは人によってまず違うので、さっきみたいな歌かもしれないし、あるいはひたすら神のことを思うでもいいし、あるいはもちろん教学かもしれない。あるいはしっかりとしたクンダリニー等の行法が有効な場合もあるかもしれないね。だから常にこの日々のね、社会の中で落ちがちなエネルギー、まあさっきの「忘れがちなこと」にもあったように、落ちがちなエネルギー、落ちがちな意識をそのままにしておかずに、常に、バクティっていう意味で言うとね、神とできるだけ、自分の中でのマックスの神に心が近づいてる状態をキープし続けるっていうか、それがやはりまず大事だと思うね。
 そして菩薩行っていうのは――菩薩行の方がどちらかというと、なんていうかな、精神的、あるいは論理的要素が必要になってくると思う。神に心を合わせるっていうのは、もう一つ言うと、つまりどれだけ心を純粋にするかっていうことなんだね。心を純粋にして開けば、あっちからバーッて神のエネルギーが流入してきます。ね。この状態をつくり出せばいい。で、菩薩行っていうのはもちろん、もともと四無量心とか愛の要素が強い人はもうそれを出せばいいんですけども、もともとわれわれはエゴが強いので、しっかりと教学をして、そして自分のまず努力によって、自分よりも他人、自分の幸せよりも他人の幸せっていうことを、自分の心に言い聞かせて訓練していかなきゃいけないんだね。もちろんこれも、心を開くことによって自然になるっていう部分もあるんですけども、われわれのエゴはやはりばかであり、そして欺瞞性が強いので、こういった教えをしっかり学ぶことで、ちゃんと納得させる必要があるんだね。ほんとに菩提心は素晴らしいんだよと。ほんとに四無量心っていうのは、ほんとの意味で自分自身も幸福になるし、周りも救うこともできるんだよっていうことを、しっかりと勉強して学ぶ必要もあるんだね。

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