解説「菩薩の生き方」第五回(7)
◎世界の秘密
で、これはね、まず大きな意味で言うならば、皆さんも例えば、何度も言うように、例えばこういうところでさ、こういう教えを学んで、「ああ、いいなあ」って思うっていうことは、おそらく前生からそういう道を歩いてきたと。で、皆さんのそのスタートの地点って当然あったと思うんですね。スタートっていうのは、それまではひどい魂だったんだけど、いろんなちょっとずつの修行の縁によってだんだん目覚めてきて、で、「そうだ」と。「わたしは菩薩になろう」と思ったと。その瞬間、皆さんはもう菩薩になりましたと。これが、大きな流れの中での意味ですね。で、そうじゃなくて日々の小さな意味で言うと、つまり皆さんはそういう素晴らしい決意を持ったりするわけだけど、まだ不確定だったりあるいは悪いカルマとかにも流される場合、当然日々いろんな悪いカルマを積んじゃったり、あるいはもう菩薩とは思えないような変な意識になっちゃたりとか(笑)、することもある。で、でもハッとするよね。「あ、駄目だ駄目だ」と。「わたしは菩薩だったんだ」と。さっき言った中心点さえ忘れてなければすぐにグッと戻って、「そうだ、菩薩じゃん!」――この瞬間にまた菩薩になります。ちょっとこれいい加減に聞こえるかもしれないけど、そういうもんなんです。
つまり、例えばY君がちょっと人を憎んじゃって、あるいはくだらない煩悩に覆われちゃって、もう頭がぐじゃぐじゃになってたと。もうこれは客観的に見たら、「ああ、輪廻のひどい魂Y君」ってなるわけですね(笑)。で、そこでY君が、「あ、違った」と。「おれ菩薩じゃん」と。「そうだ、みんなのために修行を進めるんだ」と。「そのためにはいらぬものを放棄するぞ」っていうことをグッて思ったら、その瞬間からもうY君は菩薩です。つまり、さっきまでどんなひどい状態だったとしても、――「さっきまでひどい状態でいきなり菩薩とか言って駄目じゃん」っていうふうにはならない。ハッとした瞬間に、もう自分は救われてると思ってください。
今なんでこういうことを言ってるかっていうと、やっぱりみんなを見てるとね、何度も最近言ってるね、ヴィヴェーカーナンダが「強くあれ」とか「自分を信じろ」って言ってるけども、そこがちょっと弱い人が多い。つまり、引きずるんですね、悪いものを。心は結構もう気付いてるんだけど、心はハッと目覚めてるのに、さっきまでの自分の悪い状態に引きずられちゃって、「わたしはほんとに駄目なんですよ」と。「この間まではいい状態だったんだけど、もうこんな状態になっちゃって」と。「どうしたらいいんだろう」――おまえ、もう気付いてるだろうと。ね(笑)。自分の状態が悪いって気付いてる。ね。もうほんとはもう心は「あ、そうだ、菩提心だ」って思ってる心もあるんだけども、なんていうかな、いったん悪い状態になったらそれから抜けられないとか、もうおれは駄目なんだみたいな否定的要素が強過ぎるから、自分で自分をこう引きずってるんですね。だから、身を軽く、パッとこう戻す芯があったらいいね。つまり自分が、さっきまで悪いカルマによって変な意識状態だったとしても、今、思い直したと。今わたしは菩薩なんだっていう意識を持ったら、もうその瞬間からわたしは菩薩なんだと、気高い心を持つ。で、それによってもちろん積んでしまったカルマっていうのは残ってるよ。積んでしまったカルマなんていうのは、でも物の数ではありません。皆さんがその菩薩の気持ちをガッて取り戻したら。物の数ではなく消えていきます。
これは別の観点から言うと、これも何度か話してるけど、わたしの昔の瞑想経験でね、わたし昔、一時期、数カ月間、神秘体験の渦に巻き込まれてたことがあって。まあ、そのときによくバルド的な体験もよくしたわけですけども。つまり死んでバルドに入る体験ね。ほんとはあれ、教典に書かれてるように、例えばいろんな太鼓の音とか雷の音が聞こえてきたりとか、体中が回転するとか、まあいろいろあって、死後の世界に突っ込んでいくんですけど。で、そのときによく経験した経験で、何度か言ってるけどね、例えば地獄とか、そういう低い世界のバルドに落ちていって、ウワーッて苦しんでるんだね。非常に苦しい世界なんだけど。その苦しい世界において、ただ冷静に周りを見ると、ウワーッて自分も苦しんでるだけど、周りでもなんか苦しんでる悪趣の魂が見えてくるんですね。で、そこでわたしの中の菩薩のデータがよみがえってきて、「おれは何やってるんだ」と。「おれはこんな苦しんでる場合じゃないはずだ」と。「そうだ、わたしは菩薩だった」と思って、その周りに対する愛がだんだん出てくる。「さあみんな、救われてくれ」と。「みんなを救うぞ」と。「みんな幸せであってくれ」っていう思いがほんとに――それバルドだからね。バルドって表面の意識じゃないから。まさに夢の世界みたいなもんで、本音しか出ないみたいな世界だから、「みんなを救済しなきゃ」っていう思いがグワーッて出た瞬間に、パッて世界が変わるんです。つまりそこから、なんか乗り物に乗ってグーッて上に引っ張られるとかじゃなくて、パッて変わるんです。つまり、なんの時間もなくね、瞬間的にその世界が至福の楽園みたいに変わるんだね。
もう一回言いますよ。わたしの中の悪いカルマが出てきて、それによってバルド経験をしてると。「うわー! 苦しいなあ!」ってなってると。でもその周りの苦しむ衆生に対する哀れみが湧いて、そこでハッとして――つまりここで自分のエゴから離れたんでしょうね。「ああ、わたしはこんなふうに自分が『苦しい苦しい』とか言ってちゃ駄目じゃん」と。「みんなのために生きなきゃ」と。「みんなを救うのがわたしの存在意義だった」みたいなことを思い出して、グーッと心が燃え上がった瞬間に、パッと変わる。瞬間的にほんとに変わる。世界が楽園になる。で、この経験をわたし何度もして、「あ、これが世界か」と。「これが世界か」っていうのは、世界とは、絶対的な空間っていうのはなかったってわかった。まさに唯心論ですけどね。まさにリアルな意味で心の表われであると。うん。慈悲の心を持つ人にとってはすべては楽園だし、エゴに満ちた人にとってはすべては地獄である、という意味でのリアルな体験だったんだね。
で、だからそういう感じで瞬間で変わるんです。つまりここに書いてあるのに当てはめると、われわれがエゴにやられてるときっていうのはまさに輪廻の囚人みたいな状態です。で、われわれの心に菩提心が湧いたら、だんだんそこから救われるんじゃなくて、瞬間的に世界が変わるんです。瞬間的にこの世は菩薩の浄土に変わるんだね。
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