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解説「菩薩の生き方」第二十四回(9)

 はい。で、この最後のところで、普通、われわれは確かに、念正智を二十四時間続けることは非常に難しいと。すぐに忘れちゃうよね。すぐに忘れて、いつの間にか変なことを考えてる。いつの間にか悪業によって行動してると。難しいんだが、「少なくともハッと気づいたときは、念がないことによって落ちる地獄の苦しみを思い起こし、念を元に連れ戻すのです。すぐに。そのような心構え、真剣さが必要です。」
 つまりこれは、ここに書いてあるように、能力とかいうよりは、真剣かどうかです。本気かどうか。つまりラーマクリシュナが言うように、「渇仰がすべてだ」って言ってるけども、まさにそうなんだね。まさに精神論になっちゃうけども、本気なのかどうか。ね(笑)。本気で皆さんは修行を達成しようとしてるのか。あるいは菩薩道やバクタの道を完成しようとしてるのか。それがすべてだと。
 よって――われわれに智慧があったら当然そうなるんだね。智慧がないから本気になれない。で、その要素をなんとかするために、仏教にしろヨーガにしろ、いろいろ考えられてるわけです。例えば仏教では最も基本に、苦しみの教えをまず説くわけだね。この世は苦しいですよと。だからもうなんとかして解脱するしかないじゃないですかと。うん。つまりこの世はほんとに苦しい。リアルに見たらね。でもわれわれはちょっと魔法をかけられていて、この世もまあ悪くないんじゃないかっていうふうに思っちゃってる。でもほんとの苦しみっていうのをわれわれが味わって、それを忘れなければ、もう修行するしかなくなっちゃうんだね。これが仏教的な基本的な考え方。もうなんとかこの世界から逃げ出すしかないと。逃げるっていっても自殺してもしょうがないから。また生まれ変わっちゃうから。もう解脱するしか道は残されていないと。うん。そこにもし、なんていうかな、気付くことができたら、その人はもう別に――つまり修行っていうのは、わかると思うけど、別に道徳でもなければ、「やった方がいいですよ」っていうもんでもない。どんな人でもやらないと破滅が待ってますよと。来世どうなるかわかんないし、いや、それ以前にこの輪廻という悪魔の牢獄から抜けられませんよと。例えばそれをしっかりと考えるっていうのが一つね。
 あるいはそうじゃなくて、もっと皆さんみたいに純粋なっていうかな、過去世からの縁がある人は、そもそもグルとの縁、あるいは至高者との縁、そこから生じる、バクティの素晴らしさ、あるいはいろんなパターンがあるだろうけど、グルや至高者に喜んでもらいたいとか、あるいは道具として使ってもらいたいとか、あるいは自分のこのけがれとか自分っていう考えをできるだけ捨てて、ほんとにバクティで満たされたいとかね、そういう思い。あるいは菩薩道の場合は、まさに「みんなの苦しみが見ていられない」と。「なんとかわたしが早くみんなを救える器になんなきゃいけない」とかね。いろいろありますよね。とにかくいろんな動機によって、しっかりその動機が正しく認識されて、それが根付いていれば、まさにその人は本気になるわけだね。「もう、やるしかないじゃないですか」と。あるいはこの今のテーマで言うならば、「しっかりと正しい念を根付かせるしかない」と。「絶対に悪魔なんかに負けていられない」と。「完全にその念を根付かせるんだ」と。
 この思いがもう真剣に――いつも言うけどさ、修行って、ある程度イメージとして曖昧だから、皆さんなかなかその辺をリアルに真剣になれないんだね。現実的な物事だったらリアルだからさ、真剣になりやすいでしょ。例えばこの会社の業績が今週も落ちたらもう終わりである――この一つのリアルな指針があると。今週ここまで売り上げを伸ばせなかったらうちの会社は終わってしまうと。そうしたら伸ばすでしょ。その具体的目標のために、その週、寝ないで頑張るかもしれない。例えばですけどね。あるいはいつも言うように、例えばスポーツの場合もね、このスポーツでここまで記録を伸ばさなければ、もうわたしはこの競技をやってる意味がないと。例えばオリンピックを狙ってるとしたら、この競技、この大会までに結果を出さなければオリンピックに行けないんだと。で、自分のウィークポイントはここであると。よって、もう全力を傾けてこのウィークポイントをなんとかなくして、この大会で勝てるようにしなければ!ってなるよね。そこでさ、ちょっと今日はこのウィークポイントをなくすために練習これをしなきゃいけないんだけど、今日はやりたくないからいいか、とかやってたら駄目ですよね。それはやる気がない場合はそうなるかもしれない。やる気がない場合は、「なんか今日はやる気が出ないから、今日のスケジュールやんなくていいか」と。でも本気でオリンピック出たいって考えてたら、絶対休めませんよね。こういう感じ。つまり本気で心をなんとかしたいんだと思ってたら本気で念正智するっていうことですね。
 はい。だから、繰り返すけど、能力じゃないっていったのは、能力っていうのはまだ、念正智の能力がない場合はすぐ忘れます。確かにね。こういう教えを聞いても、もう一分後には忘れてると。全然違うことを考えてる。悪い感情に支配されてると。それはしょうがない、それは能力だから。でも、繰り返すけど、やる気があれば、ハッとしたときに、バッと心が、「まずい!」っていう心が出てきて、「直さないと!」ってなるよね。でもやる気がないと、ハッとしてもほっとくと。だって、皆さんもそういう経験あるでしょ。ハッとできずに、つまりわけわかんないうちに変な感情いっぱい出てきちゃってそれに支配されて、もうずーっと悪いこと考えてる。あるいは実際に人に変なこと言っちゃったとかね。そのあとハッとして、「まずいこと言っちゃった」――これはあるかもしれないね。じゃなくてもう一つのパターンとして、変なこと、あるいは悪いことを考えてると。で、ハッと気付いたと。「これ、ちょっとまずいんじゃない?」と。まずいんじゃないと思ってるけどもやめないと。これが真剣さがない状態です。あるいは実際にその人はなんか言っちゃってるかもしれない。悪い思いが出てきて、人にもうブワーッと傷付けるようなことを言ってると。言ってるとき、気付いてる。「ちょっとこれ、真理と違うことを言ってるな」と。ほんとは止めようと思えば止められる。しかし真剣さがないから止めないと。これで余計な悪業を積んでしまいましたと。このパターンが多いと思うんだね。
 だから少なくとも、この第二パターンは絶対やめると。変な言い方だけど、気付かなかったらしょうがない。それは今のカルマだから。でも気付いたら、無視すんなと。ね(笑)。気付いたらそれを、なんていうかな、流されて、悪しき思いを継続させないで、すぐにパッと戻しなさいということだね。
 絶対皆さんは、当然、気付かない場合が多いから。だから変な言い方すれば、念正智を努力しようがしまいが、犯しちゃう心の悪業、言葉の悪業、身の悪業って絶対あるんです。うん。つまり、できてない時間、絶対にもうできない時間ってあるんです、今の皆さんにはね。で、それはしょうがないじゃないですか。どうしても念正智できなくて変なこと考えちゃった、変なことやっちゃった――絶対あります、これは。で、できる時間があります。これはまだ少ないかもしれないよ。でも少ないできる時間も使わなかったら、どうすんの?っていうことになる。ね(笑)。われわれの闘えるエリアで、そこでも闘わなかったら、じゃあなんなんだっていうことになっちゃうよね。だからこの、少しだけ与えられてる反撃のチャンス、これをもう全力でものにしないといけないよね。
 これはスポーツ的だけどね、考え方としてはね。つまり、圧倒的に強い敵と戦ってるとして、でも自分にもチャンスがないわけではない。格好のチャンスっていうのはたまにやって来ると。そのやって来たときに、それをものにできるかどうか。それはもちろん能力の問題あるけども、それ以上に、それをほんとに千載一遇のチャンスと考えて、今、大事な瞬間なんだと考えて、全精力を傾けて、自分の心を良くする方向にその時間を使えるかと。このやる気の問題だね。
 はい。で、その良い例として、このあとに出てくる、ある愚直者の例ね。はい、この話もよく、勉強会でも何度も出してる話だからおなじみですけども、読んでいきましょうかね。

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