解説「菩薩の生き方」第二十三回(9)

「透明で覚醒した状態」っていうのは、これももちろん、まあ、なんていうかな、段階があるだろけど、さっき言った、非常に心が澄んで、完全ではなかったとしても、心の本性、あるいは心の深い意識に近づいてる状態、その状態をもし瞑想とかで経験したことがあるとしたら、それを日常生活においてもできるだけ保ち続けると。
「これこそが、いや、これのみが唯一最も重要である」と。これはもう、繰り返すけど、さっきから言ってるけど――言ってる意味はわかりますよね。それが修行の一切の根幹にあることだから。だからほかのものっていうのはすべてその根幹の上に乗っかってくる要素にすぎないので、この根幹である心の訓練、心の調御をおろそかにしてたら全く一切が無駄になってしまうと。
お釈迦様も結局――いろんなふうに解釈されてるけど、お釈迦様が亡くなるときの遺言みたいな言葉でね――一番最後の遺言っていうのは、「一切は過ぎ去るもの、つまり無常である」と。「すべては過ぎ去っていく」と。「よって日々、慇懃精進しなさい」と。ひたすら精進――結局お釈迦様って、努力、精進の人ですよね。カルマヨーガっていうか。最後の言葉も「精進せよ」と。つまりすべては無常だから、命もすぐ終わってしまうし、あるいは皆さんの今のいい状態もほっといたらどんどん悪くなってしまうかもしれない。よって、ひたすら精進をしなさいと。これがお釈迦様の最後の言葉だけど、そのちょっと前の言葉として、有名な言葉として、「法を、つまりダルマを灯明とせよ」と。そして「自己を灯明とせよ」という言葉があるんだね。で、これ、いろんなふうに解釈されてる。でもこれもさ、さっき言ったこの「自己の心を守るというのは、もちろん、エゴを守るという意味ではありませんよ」って言ってるけど、同じように、「自己を灯明とせよ」っていったって、それはエゴを灯明とせよっていう意味ではないよね。
自己ってさ、自分――これは、そうですね、サンスクリット語でいうとアートマン。で、これもちょっとこじつけちゃうと、アートマンって真我のことでもあるから、「え? お釈迦様はやはりヨーガと同じように真我とか言ってる」というふうに取れるかもしれないけど、そういう意味でもなくて、ここはまさに、この、今日のね、テーマでもある、心の重要性の意味でもあると思うね。まあ「灯明とせよ」とあと「島とせよ」とも言ってるね。「ダルマを灯明とせよ」と。そして「ダルマを島とせよ」と。「自己を灯明とせよ」と。「自己を島とせよ」と。つまり自分の心――ダルマを島とし灯明とするっていうのも同じだけど、つまり、真理のダルマ――まあさっきからずっと言ってるのと同じですけどね――によって、完全に調御された――逆の言い方をすると、島となるような、あるいは灯明となるような自己の心をつくらなきゃいけないんだね。一切の法に反する心の働きを排除し、そして、それがわれわれの導き手となるような、われわれのよりどころとなるような、念正智された、そして真理によって完全に成熟された心をつくんなきゃいけない。
で、もちろんこれも、もっとさらに発展させると、これは菩薩道においてはね、みんなの灯明であり、島にもなんなきゃいけないよね。われわれはまず自分の心を磨き、そして、それが真理によって完全に成熟されることによって、われわれのこの生命というか、われわれ自体を導いていく最も重要なものとして、この心をつくり上げなきゃいけない。そしてさらにその先には、われわれ自体がみんなの島となれるような、あるいは灯明となれるような、つまり輪廻で溺れて苦しんでる者たちが、「ああ、あそこに明かりがある」と。あるいは「あの島にたどり着ければわれわれは救われる」と。そのような島であり、あるいは灯明になんなきゃいけないと。これはちょっと広げた考えですけどね。
でも根本的なお釈迦様の、今言った最後の教えにおいては、当然この念正智的な意味があると思うね。だから、今日の話をちょっともう一回まとめるけども、結局はわれわれは自分の心をどのようにして純粋化し、そして理想どおりにつくり上げ、そしてその状態を二十四時間、一瞬一瞬、崩さない、キープし続けること、これが最も大事なんだと。そしてその上にいろんなテクニックが乗っかってくればそれは最も素晴らしい効果を生むだろうし、でもそれがもしできなかったとしたら、この「心を守る」っていうことがおそろかになってたとしたら、どんな修行やってもなかなか効果がないと。
しかし、まとめるけども、現実的にはそのように自分の心を堅固にコントロールすることが難しい時代になってるので、さまざまなそれを補助する修行も生み出されてるわけだけど。だからそのような補助する修行によって、より心がしっかりと堅固になってくることによって、その他の修行もよりいっそう効果を生み出していくと。でもこのシステムがよくわかっていないと、そもそも自分の心をしっかりと真理によって確定させようっていう気持ちが薄いとね、すべては空回りし、なかなかうまくいきませんよと。よって、繰り返すけど、心の訓練、心の調御、堅固な心、自分のマックス状態を日々保ち続けると。これこそが最も大事なんだということですね。
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