解説「菩薩の生き方」第二十一回(6)

【本文】
トラ、ライオン、象、熊、蛇、すべての敵、すべての地獄の獄卒、鬼女および羅刹(らせつ)――これらすべては、ただ私の心一つが縛られれば、すべてが縛られる。そして私の心一つの調御によって、すべては調御され終わる。
なぜなら、すべての危難および類なき苦しみは、ただ心より生ずると、真実を説く人(仏陀)によって説かれているからである。
地獄の刃は誰が努力して作ったか。地獄の熱い鉄の床は誰の作か。また地獄の魔女はどうして生まれたか。
これらは皆、自分自身の悪心より発生すと、聖者は唱えたもうた。それゆえ、三界において心より他に恐るべきものはない。
【解説】
ここもまたすばらしく、また面白い一節ですね。
この辺は非常に唯心論的ですね。つまりこの世で経験するあらゆる喜びも苦しみも、すべては自分の心が作り出した幻に過ぎないんだと。
たとえば我々は悪業によって地獄に落ちると仏教では説きますが、その地獄の具体的な描写が、原始仏典にも大乗仏典にもいろいろ載っています。たとえば獄卒に刀で切られるとか、熱い鉄板の上で焼かれるとか・・・。
しかし、たとえばその地獄の刀を作る技師などが存在するのでしょうか(笑)? あるいは地獄の鉄板を作成する業者などが存在するのでしょうか(笑)? 存在するかもしれませんね(笑)。でも存在したとしても、それも幻です。
それは地獄という世界の話だけではなく、我々が普段現実だと思って認識しているこの人間界においても同じことなのです。すべては心が作った幻です。
そして悪心によってすべての苦しみが生じ、良き心によってすべての至福が生じます。
よって、三界、つまりすべての世界において、最も恐ろしいのは、閻魔様でも、悪い王でも、テロリストなどでもありません。最も恐ろしいものは「自己の悪しき心」なのです。
はい。これはまあ、わかりますね。この一節も、有名なっていうかな、素晴らしく美しい一節だね。「ただわたしの心一つが縛られれば、虎もライオンもすべての敵も地獄の獄卒さえも、すべてが縛られる」と。そしてわたしの心一つの調御によって、すべては調御されるんだと。つまりすべては心がつくり出してるんだと。
「地獄の刃は誰が努力して作ったか」と。ここでちょっと冗談みたいに書いてあるけど、つまり、地獄の獄卒が罪人を切ってるあの刀、それを作ってる例えば業者がいて、それが例えば「獄卒の刀といえばナントカ商会」とかいって(笑)、
(一同笑)
地獄でコマーシャルをやってるのかと。で、ここで、「存在するのかもしれませんね」って書いてあるけど、つまりすべてはつじつま合わせだから、するかもしれません、実際にね。実際あるかもしれないよ。地獄で、業者がいてね、ちゃんと問屋とかがあって(笑)、あるいはそれを作る職人みたいなのもいるかもしれないよ。「今度の金棒はすごいぞ」とか(笑)、やってるかもしれないよ。だとしても、それさえもまた幻ですよ、心が作った幻であると。
で、それは地獄だけではない。さっき言ったようにこのわれわれが今信じてるこの世界、この肉体を含めてね。これもまた、さっき言ったように、その大もとは心の世界があって、その心の世界が見せている夢みたいなものであると。よって、その夢の世界の現象に注目してもしょうがないんだと。大もとの心を変えなきゃいけないんだという話だね。
これはもう、すべての修行の根本ですね。一切は心がつくり出す。つまり、もし幸せになりたかったら、お釈迦様が言うように、自分の心を徳で満たし、そして浄化するしかない。あるいはより積極的には四無量心、つまり愛で満たすしかない。これは誰のためでもない。その心の反映がわれわれの世界をつくり出すわけだから。それは最も自分が幸せになる道です。
じゃなくてこの心がつくり出した幻を信じ、例えば相手を変えようとすると。あるいは状況を変えようとすると。こんなことをやっても何も変わらない。で、その中で当然また、ね、エゴを貫き心をけがすとしたら、われわれが経験する世界はよりいっそうひどいものになっていくと。「三界、つまりすべての世界において、最も恐ろしいのは、閻魔様でも、悪い王でも、テロリストなどでもありません」と。もちろんこのリーラーの中でわれわれはある程度、この世のいろんなものを良くしようと、あるいはある程度、与えられた役割を頑張る――これは大事ですけどね。でも本質を見失ってはいけない。
今、世界でテロリストとかももちろんすごく――まあ日本は平和ですけどね――かなり欧米とかでは問題になってるみたいだけど。この間のね、インド大使館でも、まあ多分そういう世界情勢を鑑みてだと思うけど、新しいインド大使がすごく敏感になってて、ものすごくセキュリティを厳重にして、もう写真入りのIDカードがない者は入れない!とか言ってたわけだけど、でも実際にその担当するインド人が適当だから(笑)、結局は甘々のセキュリティになって(笑)。
(一同笑)
まあ、それはいいとして、われわれの中に例えばそういう情報から来るいろんな恐怖がある。「ああ、テロリストが来たらどうしよう!」と。あるいは環境問題や――現代でよくいわれるのは、なんだっけ、原発問題とかね。「ああ、放射能がいっぱい!」とかね。「放射能が、実際は政府が言ってるのは嘘で、こうだ!」とかね。あるいはいろんな、ほんとかどうかわからないような情報に踊らされ、いろんなものに恐怖したり、あるいは改善しようとしたりすると。しかしそんなのもすべてひっくるめて、全部われわれの心の世界であると。
だからそういう、外側を見て、例えばあの部分を変えよう、あの部分を改善しようと――もちろん、繰り返すけど、自分の使命としてそれをやってもいいこともあるけどね。でも根本的には、われわれの心を変えるしかないんだと。われわれ、もし自分、皆さん自身が――もし世界がひどい心でできていても、皆さん自身がもし心をきれいにすれば、皆さん自身はとても素晴らしい世界で生きることになります。もし皆さんが多くの人を救い、あるいは多くの人が修行者となり、あるいは教えを学び、多くの人が素晴らしい心の働きを持ったとしたら、当然この地球は素晴らしい世界になっていくでしょうね。つまり共通認識として聖なる世界が現前すると。
はい。だからこれも修行の根本的な話ですね。環境とか条件とか、あるいは他者とかを変えようとしても全く意味がないと。それはよりひどくなります。それによってより自分のエゴが肯定されて、悪心が増していくから。
そうじゃなくて、これは百ゼロで――まあ、だから『入菩提行論』のテーマはまさにここですよね。百ゼロで心なんですよと。百ゼロで、心を浄化するしか全く意味はないんですよと。だからもし幸せになりたかったら、あるいは問題を解決したかったら、自分の心を解決するしかないんだと。
皆さんはもちろんそういう教えは学んでるわけだけど、おそらく、そうだな、八割は多分それを信じてるけど、二割は信じてない。二割は信じてないから、無駄なことをやるんだね。自分の心を変えさえすればいいのに、相手を変えようとする。あるいは相手が変わってくれないかなっていう希望を持つと。もちろんカルマによって変わるかもしれないよ。でもそれも、すごくごまかしみたいなもので。また、そのようにごまかされた場合は、また将来には同じような苦しみがやって来ます。だから、完璧にもし、一点の曇りもなく幸せになりたいって思うんだったら、一点の曇りもなく自分の心をきれいにするしかない。あるいは四無量心で満たすしかないっていうことですね。
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