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解説「王のための四十のドーハー」第四回(2)

 で、その女性はその徹底的な集中によって、ある種の瞑想状態に入って弓矢作りを行なっていた。で、それだけじゃなくて、普通に弓矢を作ってるようにしか見えないその女性の一つ一つのいろんな動作を見て、サラハはいろんなことを読み取るんだね。で、これがね、いわゆるマハームドラーっていわれる世界――まあ、これはだから皆さんが知ってるナーローパとかミラレーパとかマルパとかみんなそうだけど、ああいう世界の特徴なんだけどね。なんていうかな、現象からサインを読み取るっていう特徴があるんだね。現象からサインを読み取るっていうのは、すべては意味があると。で、その隠された真髄みたいなものを読み取るんだね。
 浅い意味で言うと、例えば占星術とか占いっていうのはだいたいそういうものの一つなんだけど、それはまだ浅い意味なんだね。浅い意味っていうのは、例えばですよ、ものすごく簡単な言い方をすると、すべては原因があって結果がある。つまり、なんの因もない現象はあり得ないと。よって、その結果を見てその因を探るわけだね。で、例えば、人が生まれてね、例えばMさんが生まれて、Mさんが生まれたときに、例えば火星がこの位置にあったと。Mさんが生まれたときに火星が空のこの位置にあったのは、これは偶然じゃないんです。つまりなんか理由があってこの位置にあったと。それはなぜだろうかと。で、それは普通はよく分からない。で、それは、いやそれはMさんが怒りっぽいからだとかね(笑)。つまり、もともと怒りっぽい魂だったから火星がここにあるんだとかね、例えばね。そういう理由を逆に探っていくんだね。でもこれはまだ浅い世界なんだね。で、もうちょっと深くこう、存在の本質とか、あるいは宇宙の本質にまでそれをつなげていくっていうかな。それがマハームドラーの一つの特徴なんだけど。で、このサラハはそういう感じでその女性の一つ一つの動作を見て、隠されたその女性のその神聖な境地を見抜いたんだね。
 その一つ一つは説明しないけど。例えば一つを言うと、その女性は片目でその作業をしてたっていうんだね。つまり両目を開けてやるんじゃなくて、片目だけ開けて、弓矢作りをしてると。で、これは別に、われわれが普通に見たら、なんか目痛いのかなとか(笑)、あるいは片目の方が集中できるのかなとか、それくらいしか思わないわけだけど、ここでサラハが読み取ったのは――この両方の目っていうのは、これは、なんていうかな、一つは論理性。論理性っていうのはつまり、論理的な組み立てによって物事を推し量る頭の使い方ですね。で、もう一つわれわれには、これは誤解を恐れずに言えば、正しい意味での直感っていうのがある。直感ね。なんで今、「誤解を恐れずに言えば」って言ったかっていうと、直感って広い意味で使われるからね。例えば「明日、地震が来るかもしれない」とか、「そんな気がするんです」とか、これは直感だけど、これはただ、徳がないから不安になってるだけっていうかね(笑)。じゃなくて、ここでいう直感っていうのは、なんていうかな――例えば皆さんだったらよく分かるかもしれない。例えば、まあ、わたしもね、勉強会でいつも、「ああ、みんなやっぱり智慧があるな」って思うときがある。どういうときかっていうと、例えば『バガヴァッド・ギーター』の教えとかそうだけどね、あるいは菩薩の教えとか、なんていうかな、論理的にはちょっと説明しづらいような教えとかがある。でもそれに、なんていうか、心がこう反応するときってあるじゃないですか。なぜこれが感動するのかは分かんないけども、ああ、これは真理だ、っていう直感がある。この直感なんだね。つまりわれわれは、真実を、言葉とか論理を介さずにつかむ智慧を持ってるんだね。で、もう一つはそうじゃなくて、分析によって、つまり論理的な組み立てによって、真実っていうかな、事実っていった方がいいのかもしれないけど、それを探るものがある。
 で、これは、そうですね、現代的な言い方をすると、よく最近いわれる、右脳と左脳とかとかも関係あるかもしれない。これはよくいわれるよね。例えば左脳、つまり左の脳っていうのは、論理的な脳なんだと。で、右の脳っていうのは直感的な脳なんだっていわれるけども、ただそれは、脳っていうのはいつも言うようにただのハードの問題なので、脳よりももっと奥にあるわれわれの心の性質としてね、何かをこう組み立てて論理的に解釈しようとするものと、じゃなくて真実をありのままにパッとつかんでしまうものと、両方あるんだと。で、それは、一般論としてはですよ、一般論としてはどっちも必要なんだけど、でもこのマハームドラーの世界っていうのは完全にこの直感の世界なんです。つまり、論理はどうでもいいと。ありのままの真実を直接つかめっていう世界なんだね。で、それがこの片目で表わされてる。
 これはさ、ちょっと、ここにいるみんなはあんまり知らないかもしれないけど、わたしの世代の男性は知ってると思うんだけど――まあH君とかT君も知ってるかもしれないけど、ブルース・リーっていう人がいて――ブルース・リーっていう人は、実際に本人もすごく強い武道家だったんだけど、映画スターとして有名だったんだね。カンフー映画とかいっぱい作った人で。で、彼の代表作が『燃えよドラゴン』っていうのがあるんだけど(笑)。みんな知ってるかな、『燃えよドラゴン』。で、『燃えよドラゴン』は、わたしも子供のころ好きだったっていうのもあるんだけど、昔なんかしょっちゅうテレビでやってて。『燃えよドラゴン』(笑)。「水曜ロードショー」とかで、「また『燃えよドラゴン』?」みたいな感じで。それだけ、なんていうか、売れてたんだね、その映画がね。で、その『燃えよドラゴン』のすごく有名なセリフがあるんです。それはそのブルース・リーがね、弟子を訓練するんだね。弟子を訓練する中で、なんだっけな? セリフは英語なんだけど、「Don’t think. Feel.」って言うんだね。よくそれをものまねする人いるんだけどね。「Don’t think. Feel.」って、そういう感じなんだけど(笑)。つまり、分かるよね。考えるなと。感じろと。で、これはまあ武道の世界の話なんだけど、でも今言ったこととすごく近いんだね。つまり真理というものを、考えてはいけないと。ここでいう考えるっていうのは、もう一回言うけども、こうでああでこうでっていう論理的な組み立てはいけないと。じゃなくて、感じろと。しかしその感じるっていうのは、武道の場合はね、つまり相手と対峙したときに、さあ、次に何を出すかとか、相手が何を出してきてどうよけるかっていうのを、考えるんじゃなくてしっかり感じろっていう意味なわけだけど、じゃなくて、悟りの世界においては、もちろん、なんていうかな――何か媒体は必要なわけだね。媒体っていうのは、例えば師匠が何かを言うとか、師匠が何かを示すとかね。で、それに対して、考えてはいけない。感じなければいけない。
 あるいは、例えばわれわれの場合、さっき言った経典を読むときとかもそうだね。例えば、まあ、まさに『バガヴァッド・ギーター』なんてそういう経典なんだけど、『バガヴァッド・ギーター』を読んで、学者的に一つ一つの文字を追っかけて、論理的にそれを考えるんじゃなくて……この『サラハの詩』もそうです。前にも言ったけど、こういう『サラハの詩』とか『バガヴァッド・ギーター』とか、こういう系の経典を皆さんが理解しようと思ったら、頭の良さはあまり関係ない。あるいは知識もあまり関係ない。つまり『バガヴァッド・ギーター』系の解説書をいっぱい読むとか、そういうのはあんまり関係ない。何が一番関係あるかっていったら、できるだけエネルギーを上げて、できるだけ心を純粋にして、できるだけ神やブッダに心を開くことです。その状態で本を読んだり、あるいはこういう勉強会を聞いたら、スパッと入ってくる。つまりそれだけが必要なんだね。だからそれは何度も言ってる、真理を直接つかむっていうやつで。
 で、話を戻すと、そういう意味での象徴をこのサラハは読み取ったわけだね。だから今日の勉強会も、ほんとはそういう目で見なきゃいけないんだね。だからこういう話っていうのは、解説はとてもしづらい。あるいは皆さんの理解も、なんていうかな、しづらいかもしれない。でもそれは皆さん自身が修行を進めてね、例えば今日よく分かんなかったとしても、またその修行を進めたあとに――これも将来本とかになるかもしれないから、何度も何度も読むことによってね、深い理解をしていけばいいなと思います。
 はい。ちょっと話を戻しますが、そういう感じで、サラハがその女性と出会ってね、で、いろいろもう読み取ったと。そこでその女性は大変喜ぶわけだね。つまりそこで、ただの弓矢作りの職人のふりをしてるわけだけど、実はブッダの化身であったと。その自分の正体をこう現わしてね、で、サラハを自分の弟子として受け入れる。
 で、この時点でその女性が、その彼にね、サラハっていう名前を付けるわけだけどね。サラハっていうのは、「弓矢を射る者」っていう意味があるそうです。弓矢を射る。で、もちろんそれはその女性が、師匠である女性が弓矢職人だったからっていうこともあるのかもしれないけど、もう一つはそのサラハの智慧の鋭さだね。つまりまさにこの、今言ったマハームドラー的な悟りっていうのは、弓を射るようなものなんだね。つまり、こうでこうでこうでこうでって組み立ててるんじゃなくて、真理そのものをもうズバッと射抜くっていうかな。で、まさにサラハはそれをしたわけだね。女性のさまざまな――だってさ、今言ったことなんてまさにそうだけど、皆さん、例えば女性が片目でこう作業してて、そこから今言ったことにたどり着けないでしょ、普通(笑)。「なんなんだ、あれは」と。で、そこから「あ、あれは真理を直接つかめっていうことの表現だ」っていうことなんて、普通はたどり着けない。どう考えてもね。「ああ、そういう考えもあるかもしれないけど、でもなんでそうなるの?」となるけども、サラハはそれをズバッと射抜いたわけだね。で、これだけじゃないんだけど、いろんな女性の仕草をすべて射抜いた。だからまあ、「弓を射る者(サラハ)」なんだね。

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