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解説「王のための四十のドーハー」第七回(9)

 ちょっと話を戻しますが、さっきね、経験っていう話が何度も出てきましたが、経験は、もう一回言うけども、途中段階においては励みになるし、バロメーターになるので、必要です。で、ここの勉強会では何回か言ったんだけども、いわゆる瞑想において、素晴らしい経験とはなんなのかと。これはもちろん、細かく言えばいろんな経験があるわけだけども、まずわれわれが、ものすごく、なんていうかな、根本的な部分で経験しなきゃいけないものは三つあります。それは、至福、つまりエクスタシーと、それから光、つまり輝きの経験、そして、心が止まった経験です。
 この三つっていうのは、最終段階ではないんです。最終段階ではないんだが、しかし、経験しなきゃいけないんだね。経験しなきゃいけない正しい経験なんです。この正しい三つの経験を完璧に高め、その上で最終的な境地に入るんだね。
 だからもしわれわれが、経験っていうものを追い求めるとしたら、この三つが一つのバロメーターにはなる。つまり、どれだけ至福感が自分に増大してるのか、あるいはどれだけ光、輝きが瞑想で現われるのか。そしてどれだけ、心が止まった状態、つまりなんの雑念も湧かない、「ピタッ」――あのね、それは皆さんこの中で、短い時間経験したことあるかもしれない。ほんとにピタッて止まります。なんとなく、「ああ、今、静かだな」――こんなんじゃないんです。ピタッと止まります(笑)。ほんとにね、なんか感覚的には物理的な感覚がするんだね。物理的に誰かに心をバッと止められちゃったような感じ。ピタッと止まるんです。で、それが――まあ、それはもちろん深さはある。止まってたと思ってけど実はちょっと動いてたな、とか。で、その止まることの深さもあるし、それからその継続時間ね。どれだけ止められるんだっていう問題もある。
 だから、もう一回言うけど、至福感、そして光、そして心の停止。これがどれだけあるのか、あるいはどれだけ強いのか、どれだけ持続するのか。これが一つの、われわれの――何度も言うけどね、経験はいろいろあるわけだけど、根本的に経験しなきゃいけない経験の一つです。
 で、それをどんどん高めていくわけですね。逆に言うと、例えばそういった経験があった人が、それが弱まっていったとしたら、なんかどっか間違ってると考えて、ね、どっかが何かちょっとずれてきてるなと考えたらいいね。
 はい、そしてそれを乗り越えて、何度も言うけども、本質的な空の世界に、あるいは悟りの世界に足を踏み入れるんだね。

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