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解説「王のための四十のドーハー」第七回(7)

【本文】

エヴァムの文字により、意志は達成されると彼らは考える
四つの瞬間を分類することによって、四つの印は示される
それらのいくつかは、自然発生的なあらわれの経験によって示される
鏡に映ったものに執着してはならない

 はい。これもね、ちょっと難しい話になってきてるので、サーッとね、簡単に説明しますが。この「エヴァムの文字により」のエヴァムっていうのは、よく密教とかで象徴として使われる文字なんですね。で、これが表わしてるのは、空と至福、あるいは空と慈悲とか、そういったものの合一を表わしてるといわれています。エヴァムっていうその文字がね。
 はい、そして、「四つの瞬間を分類することによって、四つの印は示される」ってありますが――そうですね、ちょっと、じゃあ端的に言いますね。密教の修行において、われわれが修行を進めると、四つの歓喜っていうのがわれわれには生じます。それが、例えば頭のサハスラーラ・チャクラで甘露が生じて、その甘露が頭を覆ったときに生じる歓喜が第一の歓喜。で、それが喉に降りて、喉で第二番目の歓喜。これは、いろいろね、名前が付けられてるんだけども、名前はどうでもいいわけですけども、一番目より二番目の方がすごい歓喜がやって来る。で、三番目の歓喜、そして四番目の歓喜と。で、今度はそれが逆流したりするんだけどね。逆に一、二、三、四って上に上がっていく。こういう感じで四つの歓喜っていうのが生じる。で、その四つの歓喜とともに、さっき言った、楽空無差別、つまり歓喜、至福感とともに大いなる悟りが生じると。で、それによって到達する点が、今言った空と智慧の合一であったり、あるいは智慧と方便の合一とか、あるいは絶対的真理と相対的な真理の合一とか、よくそういうことが教えとして説かれるわけですね。
 だからこれはすごく高度な話なわけだけども、そのような四つの歓喜を経験したりして、自分は素晴らしい空と慈悲の合一、あるいは至福と空の合一に到達したんだって思い込んでるけど、実はまだ到達していない人への注意です。だからあんまり今の皆さんには関係ないかなって感じがする(笑)。関係ないかなって感じがするけども、まあ一応ね、教えとして学んでおきましょう。
 だから、全体を通して、分かると思うけど、われわれは常に、気を付けて、ちゃんと自己観察を行ないながら、「自分が慢心にはまってないかな?」「ほんとはまだ先があるし、まだそんな大した状態じゃないのに、すごい慢心にはまってないかな?」っていうその自己チェックを、どんな高い段階に上がってもしなきゃいけないんだね。
 逆に言うと、高い段階に上がれば上がるほどしなきゃいけない。だって高い段階っていうのはそれなりにやっぱり高い経験をするから。でもそれがここに落とし穴があったり、あるいは慢心によって、もうちょっとなのに、その慢心によってそこから先に進めない場合もある。だから常にわれわれは、はい、ここを経験したら次の段階の罠にはまらないようにしなきゃいけない、っていう感じで、自己チェックね、自己観察をしっかりしなきゃいけない。

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