解説「人々のためのドーハー」第二回(6)
人の真の本性は、他者によって明らかにすることはできない。
しかしそれは、彼のグルの指示によって、明らかにされる。
これは何を言ってるのかっていうと、よくね、こういう言葉があります。まあこれ、ミラレーパの言葉なんですが――「仏陀など、どこを探しても見当たらないぞ」と。「おまえの心を探せ」と。これは素晴らしい言葉だね。
ミラレーパの弟子で――ミラレーパの弟子って、一番弟子がガンポパっていう人でね、この人は素晴らしいカギュー派の組織の土台をつくった大聖者なんだけど、二番弟子にレーチュンパっていう人がいて、この二番弟子のレーチュンパっていうのが、なんていうかな、修行の素質はあるんだけど、ちょっとね、生意気な弟子なんだね。生意気で、すぐに師の言うことに逆らって、いろいろやっちゃって失敗して反省してっていう(笑)、そういう弟子なんだね。でも面白いことに、多分ミラレーパは、まあ、これは想像だけどね、生意気でちょっと失敗ばかりするレーチュンパが、逆にかわいかったのかもしれない。ガンポパは超優秀で、ミラレーパはガンポパを自分のもとに一年ぐらい置いて修行させて、もうあっという間にすごいステージに達しちゃって、で、あとはもう送り出すんだね。さあ、おまえは衆生のために行けと。これから一人で武者修行に出かけて、教えを広めてね、ナーローパ、マルパ、ミラレーパと続くこの系統を、しっかりとチベットに広めなさいと、バーンと送り出すんだね。でもレーチュンパは、ずーっと、長い間、ミラレーパのそばにいるんです。ミラレーパのそばでいろいろ仕えるんだね。まあ、だからそれは、お釈迦様の弟子もずっとお釈迦様のそばにいた人と、遠く離れた場所でね、教えを説いた人といるわけだけど、まあそれぞれ役割があるんだろうけどね。
で、このレーチュンパが、よくね、インドに行きたがるんだね。つまりインドは仏教の本場だから。これは皆さんの中にもそういうのあるんじゃない? わたしも昔、そういうのあった。そういうのっていうのは、インドに行けば、なんか悟っちゃうかな?とかね(笑)。インドに行くだけでなんか変わるような感覚、あいまいなイメージ。あるいは聖地に行けば、なんかおれもちょっと違ってくるかなっていう、そういう、なんかあいまいなイメージがある。これはヨーガーナンダの本にもそういうのあるよね。ヨーガーナンダがすごくヒマーラヤに憧れて、師匠が行くなって言うのに行きたがるとかね、そういう話があるわけだけど。そういう、なんかあいまいな、「どこどこに行けばこうなる」っていう憧れがある。で、それに対してミラレーパが言ったのがね、今の言葉で、「仏陀などどこを探しても見つからない」と。「おまえの心を探せ」と。これはだから基本なんだね。つまり、どこかに行けば仏陀になれるわけではない。あるいは誰かが仏陀にならせてくれるわけでもない。つまりポイントはただ一つ、自分の心だと。しかし例外として、グル、つまり修行上の師匠っていうのは重要なんだね。つまり、仏陀などどこを探しても見つからないし、自分で自分の心を見つめるしかないんだけども、でも、縁のある素晴らしい師匠の指示がないと、あるいは指摘っていうかな、導きがないと、それを見つけられないことも確かなんだね。これがサラハがずっと一貫して言ってることですね。
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