yoga school kailas

解説「人々のためのドーハー」第一回(11)

 食べ、飲み、感覚の楽しみにふけり、
 何度も繰り返してマンダラを満たして、
 お前は世界を超えることができる。
 おろかな世俗者の頭の上を歩いて進め!

 ここにおいて、プラーナと心はもはやこれ以上さまようことなく
 太陽と月は現われない。
 そこに、おお、人よ、お前の思考を休息させよ。
 これが、サラハが与える教訓である。

 はい。まずね、この、

 食べ、飲み、感覚の楽しみにふけり、
 何度も繰り返してマンダラを満たして、

っていうのは、これはね、密教の修行の一つで、ガナチャクラってあるんだね。ガナチャクラっていうのは、これは密教のちょっと特殊な修行法の一つで、それは、こういったね、密教行者たちが、師匠を中心にして、輪になってね、つまり修行者でマンダラを作るんだね。で、お酒とかごちそうとかいっぱい用意して、神々に供養するんだね。で、供養して、実際に自分たちも食べる。で、そこに、実際にですよ、実際に神々やダーキニーを召喚するんです。実際に呼ぶんだね。そういうふりをするんじゃなくて、ほんとに瞑想によって、ダーキニーとかをそこに集めるんだね。で、そこでダーキニーとか聖なる神々と、宴会をするっていうかな。聖なる宴会をするわけですね。で、場合によっては性的な修行も入れたりとか、つまり普通は駄目だっていわれてる感覚的な喜びを逆にいっぱい使って、それで神々を供養したりして、悟りに持っていくようなやり方があるんだね。これはまあ、現代ではあんまり合わないっていうか、もちろん皆さんはやる必要はないけども、そういう一つの密教の修行の方法だね。
 これもだから、もちろんそういうやり方が絶対的にいいっていうわけじゃなくて、一つのアンチテーゼだね。つまり単純なる放棄じゃなくて、そういうふうに快楽を満たしてても、やり方によっては解脱はできるんだよという、一つの、まあアンチテーゼみたいなもんだね。
 ただ、こういうのもまた、もう一回言うけど、読むときに注意しなきゃいけないのは、現代においてはですよ、現代においては放棄した方がいいです、当然ね。っていうのは、快楽に偏ってるから、現代は。この時代っていうのは、もう一回言うけど、多くの人が非常に観念的な修行に偏ってた時代だから。じゃなくて現代は、もう快楽に偏ってるから。だから現代に対するアンチテーゼは、逆に放棄です。ね(笑)。捨てろと。ね。そんな甘っちょろい態度じゃ修行できないよと。捨てなさい、という方が、まあ逆に現代には合ってるのかもしれない。だからこれも、そういう柔軟な姿勢で読んだらいいね。別に快楽を肯定してるわけではない。そうじゃなくて、観念を超えて修行の本質をつかめということだね。

 ここにおいて、プラーナと心はもはやこれ以上さまようことなく
 太陽と月は現われない。

 これは修行の一つの達成の状態なんだけど、太陽と月っていうのは、これはいわゆる右と左の気道ね。右が太陽の気道で、月が左の気道ね。で、つまり、密教のいわゆるクンダリニーヨーガ的な説明っていうのは、ここで出してる『クンダリニーヨーガ』にも書いてありますが――あるいは『ナーローの六ヨーガ』とかにも書いてありますが、結局ね、システマティックなことを言うと、われわれの気の流れっていうのは右とか左とかに偏ってるわけだけど、それを全部中央に集めるわけだね。で、中央に集めて、まあ最終的には心臓に入れるわけですけども。で、心臓に入れて、このプラーナ、つまり生命エネルギーと、それから心の働きね、動きをすべて止めてしまうんです。で、これは、言ってみると、死です。われわれが死ぬときにはそうなるんです。死ぬときに中央に気が集まって、心臓にエネルギーが集まって、で、心の動きとプラーナの動きが止まるんだね。で、これは死ぬときには誰でもそうなるんだけど、言ってみれば、このタイプの修行っていうのは、生きてるうちにそれをやってしまうんだね。生きてるうちにそれをやってしまうことによって、心の本性に、生きながらにたどり着くっていうかな。それをまあ、狙ってるわけですね。

 そこに、おお、人よ、お前の思考を休息させよ。

 これはね、『安らぎを見つけるための三部作』とかもそうだけど、あれはゾクチェンの本ですが、「安らぎ」っていう言葉、あれは「休息」と訳してもいいんだけど、つまりこの休息とか安らぎっていうのが、一つの、なんていうかな、マハームドラーとかゾクチェンのキーワードになっています。つまりわれわれは、心を、あるいは思考を休息させなきゃいけないんだね。でもこれも、ヒントです。ヒント。ね。「今日学びました」とか言って、帰って、こうやって休息してちゃ駄目だよ(笑)。何回か言ってるけど、ミラレーパがその罠にはまったんだね。ミラレーパがゾクチェンの師匠からこの高度な教えを早く聞き過ぎちゃって、じゃあ寝てりゃいいのかっていうんで寝てばっかりいて怒られたっていう話があるんだけど。そういう意味じゃなくて、皆さんの心を休息させるんです。考えるなと。ね。もっと安らげと。これもだからヒントです。だからこれも皆さん考えてみるといい。考えるなっていうことを考えるっていうのもなんか変な話なんだけど(笑)。ちょっと、どういう意味なのかなって考えてみたらいいかもしれない。心を安らがせる。思考を休息させると。言ってみれば考えるなっていうことになっちゃうんだけど。でもその考えるなっていうのも、別に論理的な展開をするなっていう意味ではない。例えばわれわれがね、論理的に考えなくても、そうですね、なんか心配事があって、それを心配に思うと。これも思考だよね。つまりそういった一切の心の緊張というか、心の余計な活動を停止させると。休息させなさいと。

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