解説「ミラレーパの十万歌」第一回(9)
【本文】
雪ライオンの爪は、凍ることはありません。
そうでなければ、三つの完全な力を持つライオンを
「王」と呼んで何になりましょうか。
ワシは、空から落ちることはありません。
そうでなければ、とんでもないことです。
鉄の塊は、石で砕かれることはありません。
そうでなければ、鉄鋼を精錬して何になりましょう。
わたし、ミラレーパは、悪霊も障害も恐れません。
彼らに脅かされるなら、わたしの悟りや解脱とは何でしょうか?
はい。これはもうまさにミラレーパの完全なる自信ね。そして確信を言ってるところだね。われわれもこのような状態にならなきゃいけない。ね。
つまり、なんていうかな、表面的な名前だけのものではない。つまり悟りというのが本当に確定されてるとしたならば、悪魔が怖いわけがないじゃないかと。
こういう実質的な発想っていうのは、やっぱりわれわれは持たなきゃいけないね。
悟りというのは、例えば、みんなから「あの人悟ってるみたいだ」って言われたから悟ってるわけじゃない。ね(笑)。本当に何ものにも動じない。そして例えば悪魔にも動じない。そしてすべてがありのままに見える。これで悟りなわけだね。
これも何回か言ってるけど、わたし高校生のころに一生懸命修行し始めたころにね、いろんな神秘体験がたくさんあった。で、その一つ一つをとってももう本当に強烈な体験ね。でも、そのときわたしはやっぱり、なんていうかな、「いやあ、すげえ体験をした」と、「おれはもしかして悟っちゃたのかな?」とか思ったんだけど、でも「わたしの心はあまり変わっていない」と。いまだいろんなことが心配だし、いろんなことにとらわれてるし、あるいはちょっとプライドも高くてね、人からよく思われたいとかも思っちゃうし、「これがわたしが求めてる修行の結果なわけがない」と。「わたしが求めてるものがこんなちっぽけなものがはずがない」と。だからそこであまり慢心に陥らなかったんだね。
でもそうじゃなくて表面的なものにこだわる人っていうのは、例えば「わたしは仏教のこのお寺でこれだけ修行して、和尚さんから何とか何とかっていう称号をもらいました」と。「どうでしょうか」と。「だからわたしを崇めなさい」とかね。いや、それは称号であって(笑)、実際にあなたは何か心が変わったんですかと。心の達成が何かあったんですかと。ね。つまり一切心になんの波風も誰も立てることができない。あるいは何があっても自分の慈悲や、あるいはすべてをありのままに見る智慧が崩れない。――このような状態が実際に確立されたら、それは完全なる悟りなわけだね。で、ミラレーパにはその自信があった。たださっきも言ったように、まだ確定してないから、すぐにそれを忘れてしまったりもするんだけど、「いや、わたしはそのような解脱や悟りを得ているわけだから、あの悪魔に脅かされるわけがない」と。そういういう確信がよみがえったわけですね。
もちろん皆さんは、そのような完全な解脱や悟りをまだ得たわけではない。しかし考え方として、そのような考えを持つべきだね。つまり条件的にね、外部、外的にこういろんなことを排除するんじゃなくて、そんなものが全く自分にとってどうでもいいような境地になればいいじゃないかと。つまり修行っていうのはそのためにしてるんじゃないかと。ね。こういうことがあって嫌なんです、こういうこともあって嫌なんですと。だからそれを排除しましょう、じゃなくて(笑)、そんなものが全く自分にとって問題ではなくなるような状態にならなきゃいけないんじゃないか、っていうような本質的な発想ね。これは常に持たなきゃいけないですね。
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