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解説「ナーローの生涯」第8回(8)

◎至高者の手のひらの中

 だから普通はこういう感じじゃなくて、もうちょっと緩やかな方法でぶっ壊されます、さっきも言ったように。例えばある教えがあってね、この教えがまだT君には入らないなっていう場合、じゃあ入るようにするためにはどうしたらいいか。それを長い時間かけて、それは数年かもしれない、数十年かもしれない。あるいはもちろん数か月かもしれないけど、いろんな方法で、T君のこの教えが入らない原因となってるものを壊す作業に入るんです。
 で、これはですね、リアルな言い方をすると、「じゃあそれ、誰がやってるんですか?」ってなりますが、実質的なことを言うと、半分は師匠がやってます。半分はつまり神なりブッダなりがやってやっています。この辺がとても神秘的な感じなんだけど、半分が師匠がやってるといっても、師匠もその神やブッダの道具になってるにすぎないからね。だから全体像は完全に至高者の手のひらの中にいると考えたらいいね。
 例えばT君だったら、T君を至高者がいつも見守ってくれてるんだね。で、一つの媒体として師匠っていうのを使って、いろんな仕掛けをしながらだんだんだんだん壊していくんです。この中でT君みたいな無鉄砲な人は、「はい! 先生! ぼくを早く壊してください!」って言うかもしれない。「早く早くおれは悟りたいんです!」――ね。本当にそう思う人がいるとしたら、それはまず第一に――いいですか?――強い心を作らなきゃ駄目です。なんだかんだ言ってやっぱり修行には強い心が必要です。心が弱くちゃ修行できません。もちろんそれは、今心が弱い人が「あなた修行やっちゃ駄目ですよ」っていう意味じゃないよ。つまり強くしなきゃ駄目だってことです。
 修行っていうのは、分かると思うけども、慰めの道ではない。「ああ、あなた心弱いんですか。今のままでいいですよ」――そういう道ではないね。弱いんだったら強くしなきゃいけない。もちろん何度も言うけども、すべての人にはブッダの本性、仏性があるから、誰だって解脱はできる。解脱はできるけども、今持ってる培った悪い習性みたいなものは、徹底的に叩き直さなきゃいけないんだね。

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