解説「シクシャーサムッチャヤ」第一回(5)

この世に生まれた意味を知りたいと欲する者は、それは短い時間で具足することは難しいと知れ。もしそれを速やかに成就したいと思う者は、この教えの集成を聞くべし。
はい。「この世に生まれた意味を知りたいと欲する者は、それは短い時間で具足することは難しいと知れ」と。つまりわれわれが――皆さんどうだったか分かんないけど、わたしはね、これは小さいころから考えていました。「わたしはなんでこの世に生まれたんだろう?」と。その意味ね。なんで人間って生きてるんだろうとか、なんの意味があるんだろうと。まあ皆さんもそうだったかもしれない。一度や二度は考えたことがあるでしょうね。それはまあ忘れちゃってるかもしれないけど。
で、前からわたしが言ってるけども、ちょっとわたしの話をすると――わたし小さいころによくそういうことを考えてて。で、いろいろ本当にリアルにこの世の中を見ると、ある時点でね、「いや、意味ねえのかな?」っていう感じになりそうになるんだね。「なんか別に生まれてきた意味とかないのかな?」――でもそうすると非常に悲しいっていうか。で、ここで、そうですね、あまり徳がないと、あるいは心が暗いと、多分ね、ニヒリズムに陥ります。いや、意味などないと。「この世にはなんの意味もないのである」ってニヒリズムになるんだね。でもわたしはね、ちょっとね、明るかった(笑)。それからちょっと傲慢だったんです。傲慢だったからそうならなかった。わたしはどう思ったかっていうと、世の中を見ると本当にすべてね、移り変わり、なんかすべてが意味がないように見えると。例えばどんなに努力したってすべては終わってしまうと。まあ前も言ったけど、わたし野球選手になりたかったんだけど、ちっちゃいころはね。で、それを、わたしすごくリアルに考える子供だったから、すごいリアルにイメージするんです、将来のことをね。で、成功のイメージをいっぱいして、で、最終的にもう例えば巨人軍のエースとかになって、で、アナウンサーとかと結婚したりとか(笑)、そういう――あるいは国民的大スターになったりとか(笑)、いろいろそういうイメージをして、大成功のパターンを描いたとしても――まあそれで終わったとするよ。はい、いい人生でしたと。でもね、そのように中途半端な成功ではなくて、完全な大成功して終わったとしても、ふっと思うとね――「おれの生まれてきた意味ってジャイアンツ?」と思うと、「えっ、それって悲しくない?」と思うんだね。「おれ、巨人軍のために生まれてきたのか?」――なんか悲しいなと。いや、そんなわけないだろと。もっとなんかあるだろうと。この人生の本質的な意味がね。
だって、今言ったのは完全な成功パターンだけども、そうならない人の方が多いわけだね(笑)。そうなるとみんなの生きる意味ってなんなんだろうと。「結局意味ってないのかな?」「学校で習ったように、単純に生物というのは海からこう出てきて進化して、偶然にできているにすぎないのかな?」って思いそうになるんだけど、わたしは、さっきも言ったようにプライドが高かったから、あるいはなんか心に活力があったから、いやそんなわけはないと。「おれが生まれてきたんだから、意味がないわけないじゃないか」と(笑)。まあちょっとこれは傲慢な感じなんだけど。でもそういうのが、必ず何かあると思ってた。「おれ」っていうよりは、生命っていうかな、存在の意味ってなんかあるはずだと。
で、まあそして中学生ぐらいにヨーガとかに出合ったわけだけども。で、そのときはわたしはやはり、とても喜んだ。まあわたしももちろん、最初はヨーガっていうのはただの体操だと思ってたから――でもやっぱり縁があったんだろうね、ちょっとヨーガに興味が出てきて、ヨーガの本を読もうかなと思って本屋に行って手に取った本が、たまたまそのそういう体操的な本ではなくて、すごくマニアックな瞑想とかの本だったんだね。で、悟りとか書いてあって。「えっ、ヨガってこういうものだったの?」と思って。で、そこで、すごい喜びが出たんだね。――「あっ、もしかするとここにわたしの生まれた意味があるのかもしれない」。ちょっとかっこいい言い方をすると、ヨーガを通じて人生の意味を探っていく――つまり真の、わたしが生まれた真の意味、人生の真の意味を悟ることが、まずはね、わたしの今生きてる意味なのかもしれない、ということにたどり着いたわけですね。
はい。しかしそれはここにも書いてあるように、「短い時間で具足することは難しい。」――つまりこの生まれてきた意味を悟ること、あるいはそれを達成することは、当然一朝一夕でできるものではない。「あっ、ヨーガという素晴らしいものに出合った」と。「よし、じゃあ明日あたりに達成するかな」(笑)――もちろんそういう心意気は大事だけどね。「おれは今日中に達成する」という心意気は大事だけど、実際には難しい。で、それは――ここでね、一朝一夕ではないと言っているのは、もちろん一年二年でもないよ。五年十年でもないよ。まあ武道の世界の言葉で、「千日を鍛とし万日を錬とする」とかいう言葉があるよね。つまり武道の世界でも、こうまあ十年二十年とやってやっと基礎ができたかなとか、そういう考え方をするわけだけど、修行の場合はもちろんそれをはるかに超えてるんだね。さっきも「生涯一書生」って言ったけども、まあ例えば本当に極端に言えばですよ、一生かかってもいいから、自分の心の半分でももし変えられたら、それは素晴らしい。あるいは一生かかってもいいから、修行のさまざまなプロセスの第一段階にでも昇りつめられたらそれは素晴らしい――ぐらいの、なんていうかな、本当にこう腰をすえた道なんだね。
もちろん何度も言うけど、心意気は大事ですよ。T君みたいに「おれ、今日悟ります」とか(笑)、そういう心意気はとても大事です。心意気はもちろん大事なんだけど、同時に修行っていうのは本当にもう長くかかるもんなんだと。なぜかというと、われわれは長い時間かけて自分をけがしてきたわけだから、それをひっくり返すには、相当な時間がかかるんだと。
しかし、「もしそれを速やかに成就したいと思う者は、この教えの集成を聞くべし」と。つまりシャーンティーデーヴァは何を言っているのかっていうと、その普通暗中模索でやってたら相当かかる修行を速やかに行けるように、しっかりそのポイントをまとめましょうと。それを皆さんに今から提示しましょうっていうのが、この教えの宣言なわけだね。
だからこれも皆さん分かると思います。例えば良い師に出会うこと、あるいは良い教えに出合うこと、あるいは良い修行に出合うこと――これはやっぱり修行の世界にはとても大事なことですね。まあなんでもそうだけどね。それによって例えばしっかりとポイントをつかむことができる。あるいは、しっかりと自分のなすべきことと、今は必要でないこととかが分かってきて、同じ修行の道を歩むのでも、全然スピードとか達成度が違ってくるということですね。
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