覚者の心の宝(1)
覚者の心の宝
-見解、瞑想、行為の修行-
始め、中間、終わりの高潔な講話
パトゥル・リンポチェ
ナモー ローケーシュワラーヤ
ローケーシュワラ(世自在=観音様)に帰依し奉ります。
もしあなたの御名の甘露の一滴でも、わたしの耳に届くならば
数え切れないほどの生の間、ダルマの響きに満たされるでしょう。
不可思議なる三宝よ、あなたの輝く徳が
いたるところで完全なる幸福をもたらしますように!
秋の柿が、中は未熟なのに外側は熟したように見えるように、
わたしも、ダルマの修行者のように見えながら、
わたしの心とダルマは一つになることはなく、
わたしがダルマを説くなど、お笑い草である。
しかし、立派な友人であるあなたが熱心に懇願するので
わたしは拒絶することができない。――わたしは率直に意見を述べよう。
この堕落した時代においては稀なことであるが、
わたしは不誠実さのない言葉をあなたに贈ろう。
よって、よく聞いてください。
真のリシ、神の中の神であるムニーンドラ(お釈迦様)は、
真の道を通って、真の境地に到達し、
その真理と優れた道を、人々に真に指し示した。
それが、彼が真のリシとして知られている理由ではありませんか?
ああ この残りかすの時代の衆生よ!
心の道徳的な真の核心は衰え、人々は不誠実に生き、
彼らの思考はねじ曲がり、彼らの言葉は歪んでおり、
彼らは他者を抜け目なく欺く。――誰が彼らを信用できるだろうか?
ああ! この堕落の時代の衆生は、なんと憂鬱なのだろう!
ああ! いったい誰の言葉を信用できるのか?
まるで危険な人食い鬼の国に生きているかのようだ。
それについて考え、自分に本当にためになることを行ないなさい。
過去世において、あなたの意識はただ独りでさまよい、
カルマに押し流されて、今生の誕生を得た。
そしてまた、バターから取り除かれる髪の毛のように、
すべてを置き去りにして、あなたは再び独りで行かなければならない。
もちろん、我々は幸福になりたいと思っているのだから、
我々は、自分自身に誠実でなければならない。
もし我々が、自分自身のためにダルマの精髄を完成しなかったならば、
我々は、自分の人生を無駄にすることになるのではないか?
この暗黒の時代、人々の思考と行為は下劣であり、
彼らがあなたを助けることはなく、彼らはあなたをだまし、欺くだろう。
そしてあなたが彼らを助けることも難しい。
この無意味な競争の世界を放棄することが最高ではないか?
目上の者に仕えても、彼らは喜ぶことはない。
目下の者に気を配っても、彼らは満足することはない。
他の人々のことを気にかけても、彼らはあなたのことは気にかけない。
それらについて考えて、固い決意をなせ。
最近の人々は、教えを学んでも、ためになっていない。――ただ議論に明け暮れている。
最近の人々は、悟りを得ても、他者を助けない。――ただ批判に明け暮れている。
最近の人々は、高い地位を得ても、善く国を統治しない。――それはただ反乱を巻き起こすだけ。
これらについて考えると、悲しく、うんざりする。
あなたが何かを語っても、人々は誤解をするか、あなたを信じない。
あなたの動機が真に利他的なものであっても、人々はそうは思わない。
最近は、歪んだ心に、真っすぐなものも歪んで映り、
あなたは、誰をも救うことができない。――いっそのこと、そんな望みはあきらめてしまえ。
「一切の現象は、魔術の幻影のようなものだ」と、ブッダ方はおっしゃっている。
しかし最近は、幻影の上に幻影が積み重ねられている。
よこしまな幻術師によって呼び出される詐欺師――
この堕落した時代の幻影に用心しなさい。
「すべての言葉はこだまのようなもの」とブッダ方はおっしゃっているが、
最近では、こだまの上にこだまが積み重ねられている。
こだまのような言葉とその意味は乖離している。
こだまのような狡猾な言葉の一切から離れ去れ。
会う人は、人間というより詐欺師ばかり。
聞こえる言葉は、真実ではなくまさに嘘ばかり。
今日においては、誰も信用できない。
独りで生き、自由である方がよい。
あなたがダルマにのっとった行為をすれば、あなたは皆から批判される。
あなたが真実を語れば、多くの人々は怒る。
あなたの心が真に善く純粋であれば、彼らはそれは誤りだとジャッジする。
今こそ、あなたは隠遁して自分の道を守るべきときだ。
身体において隠遁するには、山の荒れ地に住みなさい。
言葉において隠遁するには、人々との接触を避け、ほんの少ししか話さないようにしなさい。
心において隠遁するには、あなた自身の誤りだけを正智し続けなさい。
これを隠遁ヨーギーというのである。
誰も信用できないなんて、うんざりだ。
すべてが無意味だなんて、悲しい。
望むことのすべてを獲得できる時間などは決してないのだから、断固たる決意を固めよう。
この三つのことを常に心に留め続けるならば、善き意志が少しは生じてくるだろう。
今の時代には幸福はなく、幸福が生じてもすぐに終わってしまう。
あなたは苦しみを求めていないのだから、ダルマによって苦しみを根絶しなさい。
いかなる幸福や苦しみがやって来ても、それは過去の行為の力だと認識し、
今からは、何に対しても一切の期待や不安を抱かないようにしなさい。
人々に多くを期待するとき、あなたは笑顔でいっぱいとなる。
多くのものを必要とすれば、多くの交際が必要となる。
最初にこれを、次にそれをしようという計画を立てて、あなたの心は期待と恐怖に満ちている。
今からは、何がやって来ても、そのような心は持たないようにしなさい。
たとえ今日死んだとしても、何を悲しむのか? それがサンサーラの道だ。
たとえ100年生きたとしても、何を喜ぶのか? とうの昔に若さを失っているのに。
あなたが今、生きようが死のうが、今生の問題が何だというのだ?
来生のためにダルマを実践すること――それが要点だ。
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