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ラヒリ・マハーシャヤ(1)

(1)崇高なる光臨

 「来なさい、シャーマ・チャラン。」

――その声は山の中に、そしてシャーマ・チャランの耳の中に反響し、彼を驚かせました。

 「森林に包まれたこの山の中で、自分の名前を呼ぶのは誰なのか? しかも、なぜ私の名前を知っているのか?」――シャーマ・チャランがこのようにいぶかしんで周りを見渡すと、山頂に立って彼の名前を呼んでいる一人の修行者を見つけました。

 「あの見知らぬ修行者が私の名を呼んでいるのは、何かの間違いだろうか?」
 シャーマ・チャランはこのように疑いつつも、何か心ひかれる思いで、その修行者のもとへと歩いて向かいました。

 シャーマ・チャランが山頂に到着すると、その修行者は穏やかな微笑を浮かべて、手招きをしていました。その修行者は、まるで父親のような愛情を感じさせる目をしていました。
 その修行者は、まるで長い不在から帰ってきた息子を迎える父のような、意気揚々とした様子で、シャーマ・チャランを暖かく歓迎しました。

 「シャーマ・チャラン。君は何を驚いているのかな? 君は私のことを覚えていますか? 君が以前にここに来たことを覚えているかな? このトラの皮の敷物や、托鉢の鉢なども、君はすべて忘れてしまいましたか?」

 シャーマ・チャランは、そのようなことは記憶になく、その修行者に言いました。
「私は、ここに来るのは初めてですけど……」

 「聞きなさい、シャーマ・チャラン。すべてはマーヤーの仕業だ。マーヤーの力が、お前にすべてを忘れさせたのだ。」
 こう言うと、その修行者は、シャーマ・チャランの体に軽く手を触れました。
 するとその瞬間、シャーマ・チャランは、世界がすべて消えてなくなったかのような感覚に襲われました。そして彼の中に、前世の記憶と、今生この世に生まれてきたときの記憶がよみがえってきたのです。

 すべてを思い出したシャーマ・チャランは、目に涙を浮かべて、修行者の足元に平伏しました。

―――――――――――――――――――――――――

 シャーマ・チャランは、ベンガル暦1235年、暗い二週間の16日目(西暦1828年9月30日)、火曜日の朝の8時27分47秒、インド・西ベンガルのナディア地区にあるグルニという村で生まれました。

 父はゴウルモハン・ラヒリといいました。母はムクタケーシ・デーヴィーといい、ゴウルモハンの二番目の妻でした。

 ゴウルモハンと最初の妻との間には、チャンドラカンタとサラダプラサドという二人の息子と、スワルノーモーイーという娘がいました。この最初の妻は、巡礼の旅の途中で亡くなってしまったのでした。

 シャーマ・チャランが生まれた五年後、ムクタケーシ・デーヴィーは、スラクシャナという娘を産みました。

 ということで、ゴウルモハン・ラヒリは、三人の息子と二人の娘を授かったのでした。

 シャーマ・チャランが生まれたナディア地区は、過去に多くの聖者によって祝福された地でした。この神聖な土地に、人々に真理への道を指し示す神の子は、現実世界の苦しみに悩む人々を救うために、シャーマ・チャランとして光臨したのでした。

 シャーマ・チャランはあまりに神々しい、輝くような顔をしていたため、近所の主婦たちが、この神の子を見るためにラヒリ家に集まりました。こうしてグルニの村は喜びと祝福に包まれていました。そしてシャーマ・チャランは、生まれたときから、みなの幸福を願っていました。

 ゴウルモハンは、徳が高く、敬虔で、信心深い人でした。彼は日々、供養を行なったり、経典を学習したり、真理について議論したりしていました。彼はまた、ヨーガのサーダナー(成就法)の熱心な実践者でもありました。そして彼はすべての神と女神に、誠実な尊敬心を持っていました。

 ムクタケーシ・デーヴィーもまた誠実な神の信者で、シヴァ神を崇拝・献身の対象としていました。彼女は毎朝シヴァ神への崇拝の儀式を終えるまでは、決して朝食をとらないのでした。
 また彼女は非常に情け深く、気立ての良い女性でした。どんな人物であれ、やってきた物乞いには、持っているものは何でも差し出すのでした。
 こういう女性でしたから、ムクタケーシ・デーヴィーは、近所のすべての女性たちから尊敬されていました。

 神の子・シャーマ・チャランは、このような両親のもとに生まれたのでした。

 そのころ、神や女神にちなんで子供に名前をつける風習がありました。それは、人々が子供の名前を呼ぶことによって、同時に神の名を呼ぶことにもなり、神を常に忘れないでいられるようにという思いからでした。そしてシャーマという呼び名も、神にちなんでつけられた呼び名でした(シャーマは、至高主クリシュナやカーリー女神の異名でもある)。

 
 シャーマ・チャランは徐々に成長していきました。
 シヴァ神は、ラヒリ家の守り神でした。シヴァ神の寺院は、家のすぐ隣にありました。母のムクタケーシ・デーヴィーは、時々シヴァ寺院にシャーマ・チャランを連れて行き、一心不乱にシヴァ神に礼拝をしていました。その間、シャーマ・チャランはちょこんと座って、ずっと目を閉じており、まるで彼自身がシヴァ神そのもののようでした。

 また、ムクタケーシ・デーヴィーは、時々シャーマ・チャランを川岸の砂地の上に座らせたまま、自分の仕事をこなしていました。するとシャーマ・チャランは、まるでシヴァ神が灰を身体に塗りつけるように、砂を自分の身体に塗りつけ、そしてまるで瞑想するように、座って目をつぶるのでした。

 子供に特有のあつかましさ、傲慢さなどは、シャーマ・チャランには全く見受けられませんでした。代わりに、ストイックに一人思索にふけっている様子がよく見受けられました。まるでそれは、絶対者との合一を達成しようとする修行者のような表情でした。

 こういったシャーマ・チャランの変わった態度やしぐさを見ることで、多くの人々が、この子は普通の子供ではないと考えていました。

 
 ある日、ムクタケーシ・デーヴィーはシヴァ寺院で、シヴァの瞑想に深く没入していました。そしてそのすぐ横には、シャーマ・チャランが、まるで母親を真似るように、目をつぶって、瞑想の姿勢で座っていました。
 そのとき突然、もつれた髪に大きな体で顔立ちのよい修行者が寺院の前にやってきて、ムクタケーシ・デーヴィーに「お母さん」と話しかけました。ムクタケーシ・デーヴィーは驚き、とっさにシャーマ・チャランを自分のひざの上に抱き上げました。

 すると、その修行者は言いました。
「お母さん、恐れないでください。私は修行者です。私のことを恐れる理由は何もありません。」

 そう言われても、ムクタケーシ・デーヴィーはまだ恐怖に圧倒されたままで、立ち上がりました。

 修行者は続けて言いました。
「あなたの息子さんは、普通の人間の子供ではありません。家庭生活で苦しむ無数の人々に成就の道筋を指し示すために、彼をこの地上に送ったのは、この私なのです。
 この子は、家庭を捨てることなく、ヨーガの道を成就するでしょう。お母さん、心配しないでください。私は影のように、常に彼を見守っています。」

 こう言うと、その修行者は、静かに立ち去ったのでした。

 

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