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要約・ラーマクリシュナの生涯(5)「ガダーダル(ゴダドル)の幼年時代と、父クディラムの死」


5 ガダーダル(ゴダドル)の幼年時代と、父クディラムの死

◎皆に愛される子供

 ゴダドルが生まれてから日が経つにつれて、この子の不思議な魅力は、両親のみならず周りの人々の心を惹きつけた。村の女たちは暇があるといつもチャンドラデーヴィーのところへやってきて、「何をしに来たのですか?」と尋ねられると、「他に何の用があります? 毎日あなたの赤ちゃんを見ずにはいられないから来るのよ」と答えるのだった。
 
 やがて生後五ヶ月が経った頃、伝統に則って、米の食べ始めの儀式がおこなわれることになった。最初クディラムは、自分の資金力を考えて、この儀式をごく内輪だけで済ませようと考えていた。しかしゴダドルを心から愛していた村人たちは、村の指導者やブラーフマナその他の者たちを筆頭に、自分たちをその儀式に参加させるように主張してきたのだった。クディラムは困ってしまった。自分たちの資金力では、全員を出席させることは不可能だったからである。しかしクディラムの裕福な親友のダルマダースが資金のほとんどを喜んで出し、儀式は滞りなくおこなわれた。村のすべてのカーストの人々がクディラムの小屋を訪れてこの儀式に参加し、ラグヴィールにそなえられた供物のお下がりをごちそうになった。大勢の貧しい乞食たちもこの日は満腹するまで食べ、みながゴダドルを祝福して帰った。

 ゴダドルの一挙一動は時が経つにつれてますます愛らしくなり、チャンドラデーヴィーの心を喜ばせたが、同時に彼女は、以前のような心の平安を失った。以前は彼女は、神に対して何かを願ったことなどなかった。それが今では、母親としての愛情に促されて、一日に千回も、この子のために吐き出すように祈った。それでもなお、彼女は心配を払いのけることはできなかった。息子の幸福への思い煩いが全面的に彼女の心を占めた。そしてそれによって彼女は、以前のように毎日神を見るというようなことはなくなった。しかしそれでもときどきは驚くべきヴィジョンを見た。

◎ゴダドルの特異な性質

 やがて年月が過ぎ、ゴダドルが成長して行くにつれて、クディラムは、この子の並外れた記憶力と智慧の輝きに気づき、驚いた。クディラムはときどき、この子を膝の上に乗せて、祖先たちの名前の長いリストや、神々や女神に捧げる短い賛歌、あるいはラーマーヤナやマハーバーラタの中の素晴らしい物語などを話して聞かせた。するとゴダドルはそれらを一度聴いただけで、それらの大部分を記憶しており、乞われればそれらをすらすらを繰り返すことができるのだった。

 またゴダドルは、ある事柄については好きで、非常な熱意を持って記憶するが、興味を感じない事柄に関しては、周囲がどれほど努力しても関心を示さず、全く記憶できなかった。クディラムはこれを、彼に算数の九九を覚えさせようとしたときに発見した。

 五歳になった頃、ゴダドルは学校に通い始めた。彼は同じ年頃の多くの子供たちとあって大変喜び、一方、彼の愛らしい態度は、仲間にも教師にも気に入られた。
 その地域では、村の地主のラーハー家の家の前にある芝居小屋が、子供たちの学校として使われていた。子供たちは朝来て二、三時間勉強し、昼には沐浴と食事のために家に帰った。そして午後三時か四時頃に再びやってきて、夕方までいるのだった。教師は一人しかいなかったが、年上の少年たちが年下の子供たちの勉強を見てあげたりしたので、何とか授業は円滑に進められていた。
 
 ゴダドルが生まれる前から自分やチャンドラデーヴィーが経験した不思議な夢やヴィジョンは、クディラムの心に消しがたい強い印象を残していた。そのため彼は、ゴダドルが多くの子供たちがやるようなイタズラをしたのを見ても、決して厳しくしかることはできなかった。その代わり、二度としないでおくれ、とやさしく頼むのだった。また彼はときどきゴダドルの中にわがままの兆候を認めたが、それが果たして誰もが甘やかすからそうなったのか、それともこの子の独特の性質であるのか、クディラムにはよくわからなかった。
 ゴダドルはよく、学校に行かずに仲間と遊びに出かけたり、誰にも断らずに野外劇を見に行ったりした。しかしクディラムはそのようなことがあっても、この子をしからなかった。将来この子が偉大になるのを助けるのは、この性質であると感じたからである。
 またゴダドルは、いったんやり始めたことは決してやめようとせず、また自分がしたことに関しては嘘をついて隠すようなことは絶対にせず、また人に害を与えるようなことは決して考えることもなかった。
 しかしゴダドルはまた、クディラムを心配させたある特殊な性質を持っていた。彼はあることをせよ、またはするなと命じられたとき、その理由を十分納得することができないと、わざと逆のことをするのだった。クディラムはこれを、すべてを曖昧にせずに真実を探求したいというこの子の性質のあらわれであると感じた。しかし人々は普通はこのような振る舞いを許さないだろうし、あらゆることの理由を丁寧に話して子供の好奇心を満たしてあげる人もいないだろうということを知っていた。よってこの子はしばしば世間の標準的な善悪の基準を無視するようになるのではないかということをクディラムは心配した。そして特に次に述べるある小さな事件があってから、クディラムはより慎重にゴダドルを導くようになった。

 クディラムの家のそばに、ハルダルプクルという大きな池があった。村人たちはみな、この池の綺麗な水を、沐浴、飲用、炊事用に使っていた。そこには男女に分かれた沐浴用の階段が一カ所ずつあった。ゴダドルのような小さな子供は、よく女性用の階段を使った。
 ある日、友達と一緒にそこにやってきたゴダドルは、水中で泳いだりはねたりして、沐浴に来ていた女性たちに迷惑をかけた。女性たちがやめさせようとしても子供たちは言うことを聞かなかった。ついにある年配の女性が、こう言って彼らをしかった。

「おまえたちはなぜここに来るんだい? 男の沐浴場の方にいったらどうだね? ここでは女の人たちが、沐浴の後で着物を洗うために裸になるでしょう。『女性の裸を見てはならない』という決まりを知らなければならないよ。」

 小さなゴダドルは、「なぜですか?」と聞いた。しかし彼女は詳しく説明してゴダドルを納得させることはせず、ただよりいっそう厳しく彼をしかった。
 他の友達たちは、彼女が厳しくしかるのを見て、自分の親たちに告げ口されたら大変だと考え、おとなしくなった。
 
 しかしゴダドルは、一つの計画を思いついた。それから二、三日の間、彼は木の陰に隠れて、沐浴した女性たちが裸になるのをこっそりと見た。そしてその後、自分をしかった女性に会うと、ゴダドルはこう言った。

「一昨日は僕は四人の女性の裸を見ました。昨日は六人、今日は八人見ました。でも僕には何も起こりませんでしたよ!」

 これを聞いて彼女はチャンドラデーヴィーのところに行き、一部始終を笑いながら話した。そこでチャンドラデーヴィーはゴダドルを呼び、やさしくこのように話した。

「女性の裸を見ても、あなたに何も起こらないというのは本当です。でも彼女たちは侮辱されたと感じるしょう。あの人たちは私と全く同じです。だから、もしあなたが彼女たちを侮辱するなら、それは私を侮辱するのと同じことなのです。これからは決して、彼女たちの自尊心を傷つけるようなことはしてはいいけません。私の感情を損なうのと同じように、彼女たちの感情を損なうのは善くないことではありませんか。」

 このように丁寧に説明されると、ゴダドルは理解し、二度のそのようなことはしなかった。

 学校での勉強により、ゴダドルはわずかな間に、読み書きができるようになった。しかし相変わらず算数には全く興味を示さなかった。
 一方彼は、他者のすることを真似るのがとても上手であった。たとえば村の陶工が神々や女神の像を造るのを見ると、彼らの技術を学び、自分も家で作り始めた。そしてそれは彼の特技の一つとなった。同様に、絵を描く人々と交わって、自分も絵を描き始めた。また、村のどこかで聖典朗読や宗教劇がおこなわれていると聞くと必ず出かけていき、聖典の物語を覚えた。
 また同時に、ゴダドルが日々目にしていた両親の手本は、彼の天性の正直さと神への愛を育てるのを助けた。成人の後、ゴダドル(ラーマクリシュナ)はこのことを思い起こし、父母に感謝した。後にラーマクリシュナは弟子たちに、このように話した。

「私の母は、まさに素朴さの権化であった。世間のことは何一つ理解せず、お金を数えることもできなかった。相手かまわずにあらゆる事を話すのは危険だということを理解せず、心に浮かんだことは何でも、誰にでも話して聞かせた。このために人々は彼女を『愚かだ』と言った。彼女はまた、すべての人にものを食べさせるのが好きだった。
 私の父は、一日の大半を、礼拝、ジャパ、および瞑想に過ごした。日々の祈りの時にガーヤトリーの祈願を唱えると、彼の胸はふくらんで紅潮し、涙に濡れるのであった。偽りの証言をすることを嫌って、彼は祖先伝来の家屋敷を捨てたのである。村人たちは彼を聖者として敬っていた。』

 
 またゴダドルは、並外れた勇気の持ち主だった。幽霊が出るといわれて大人も近づかないような場所にも、平気で出かけていった。

◎初めての忘我体験

 やがてゴダドルは七歳になった。その頃には、あらゆる人々がますます彼を愛するようになっていた。村の女たちが家でおいしいものを作ったときにまず考えるのは、何とかしてゴダドルを呼んで食べさせようということだった。ゴダドルの振る舞いは実に魅力があり、また彼が実に愛らしく話したり歌ったりするものだから、村の人々は彼の子供らしいイタズラなどは機嫌良く我慢するのだった。
 ある日、野原を気楽にさまよいながら、ゴダドルは空を見上げて、そこに広がり始めた黒い雲と、それを背景として真っ白な翼を広げて飛んでいく鶴の一群のリズミカルな動きを見た。ゴダドルはその美しさに完全に心を奪われ、自分の体と他の地上の一切のものの知覚はすべて消え失せ、意識を失ってその場に倒れた。友達がそれを見つけ、びっくりして両親に知らせ、彼は家に運ばれた。
 意識を取り戻した後、両親は大変心配したが、ゴダドルは、これは自分が今までに経験したことのない新しい感情に没入したからであって、外からは無意識と見えても自分は内部では意識があり、たとえようのない至福を味わっていたと、両親に説明した。

◎クディラムの死

 ゴダドルが七歳半になった頃、1843年の秋、ベンガル地方の秋の大祭であるドゥルガー・プージャーの時期が来た。クディラムの愛する甥であるラーマチャンドラは、普段は仕事のためにメディニプルに住んでいたが、親代々の家はシリンプルの村にあったので、そこで毎年、莫大な費用をかけてこの秋の大祭を祝った。
 クディラムは毎年このラーマチャンドラ主催の大祭に参加しており、この年もラーマチャンドラから招待を受けていたが、68歳になっていたクディラムは、近年病気がちだったことと、ゴダドルと少しも離れたくないという思いから、行くのをためらっていた。しかし、自分もだいぶ老いてきたから、今年行かなかったらまた来年行けるかどうかわからないと思い、行くことにした。最初はゴダドルも連れて行こうかと思ったが、そうするとチャンドラデーヴィーがひどく心配するだろうと思い、長男のラムクマルだけをつれてシリンプルへと向かった。
 しかしクディラムは、シリンプルに到着してすぐに、赤痢の症状が出、手当を受けた。いったんは良くなったが、祭の九日目に突然様態が悪化した。十日目、祭のクライマックスである、ドゥルガー女神の神像を河に沈める儀式を終えると、ラーマチャンドラは急いで、ベッドに横たわるクディラムのもとに駆けつけた。そしてクディラムの臨終が近いことを知った。ラーマチャンドラは涙ながらに、
「おじさん、あなたは常にラグヴィールの御名をお唱えになっていましたでしょう。今こそその名をお唱えなさっては。」
と言った。
 「ラグヴィール」の名を耳にすると、クディラムは混沌とした意識から目を覚まし、震えて途切れがちな声で、
「おまえ、ラーマチャンドラか。神像はもう沈め奉って来たのか。では、私を座らせてくれ。」
と言った。
 親族の助けを借りて寝床の上で座法を組むと、クディラムは厳かな声でラグヴィールの御名を三度唱え、そのまま肉体を去った。

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