要約・ラーマクリシュナの生涯(20)「故郷訪問」
20 故郷訪問
六ヶ月間のニルヴィカルパ・サマーディの後、六ヶ月ほど続いたラーマクリシュナの重い赤痢は何とか治ったが、しかし彼の身体は今は以前ほど丈夫ではなく、また雨期に入ると病気が再発するのではないかという恐れもあったために、ラーマクリシュナは数ヶ月間、故郷の村に行くことになった。この帰郷の旅には、フリドエとバイラヴィー・ブラフマニーが付き添った。ラーマクリシュナの年老いた母のチャンドラデーヴィーは、この頃にはドッキネッショルに住んでいたが、この帰郷にはついてかず、モトゥルの世話の下にドッキネッショルに残った。
ラーマクリシュナはそれまで八年間、故郷のカマルプクルに帰っていなかった。故郷の人々は、あのゴダドルが女の着物を着て「ハリ、ハリ」と叫んでいるとか、「アッラー、アッラー」と唱えているとかいう噂を聞いており、心配していた。しかし彼らはしばらくぶりに帰郷したゴダドルを見て、彼が以前と変わらずに優しく、明るく、愛に満ちて誠実であることを見て取り、安心した。
しかし村の人々は、ゴダドルが以前と違って神々しく光輝いているように見えることに気づいた。村人たちはゴダドルと一緒にいると、世俗的な心配は消え、代わりに至福と平安の清らかな流れが心に生じるのだった。さらに彼らはゴダドルの前を去ると、もう一度彼に会いたいという言いようのない強い願望を感じるのだった。
ある日、ラーマクリシュナが昼食の後に部屋で休んでいると、近所に住む何人かの婦人たちが彼に会いにやってきて、傍らに座って霊的な会話をし始めた。そこで突然ラーマクリシュナは法悦状態に入り、自分はサチダーナンダ(実在・叡智・歓喜)の大海の中を、ときには表面に浮かび、ときんは底深く潜り、歓喜に満ちて泳ぎ回り戯れている魚であると感じていた。
ラーマクリシュナが誰かと話している最中にこのように法悦状態に入ってしまうのは珍しいことではなかったので、婦人たちは全く気にせずに話しを続け、大変騒がしかった。
そこで一人の婦人が彼女たちを制して、彼の法悦状態が終わるまで静かにしているように頼んだ。彼女はこう言った。
「彼は今、魚になって、サチダーナンダの海の中を泳いでいるのですよ。そんなに騒ぐと、彼のその至福が妨げられるでしょう。」
婦人たちはその彼女の言葉を信じなかったが、それでも騒ぐのはやめた。
そしてラーマクリシュナが法悦状態から戻ってきたとき、そのことを聞かされると、ラーマクリシュナはこう言った。
「そうです、彼女の言ったことは本当です。何という不思議な事だろう! どのようにして彼女はそれを知ることができたのだろうか?」
また、ラーマクリシュナがかつて結婚の義を交わした少女サーラダーも、ゴダドルが帰ってきたということでジャイラムバティからカマルプクルに呼ばれた。結婚のとき彼女はわずか七歳だったが、久しぶりに夫と再会したこのとき、彼女は十四歳になっていた。
ラーマクリシュナは最初、彼女をカマルプクルに呼ぶことについては否定も肯定もせず、無関心だったが、実際に彼女がやってくると、彼女の幸福のために、彼女の教育と訓練に熱意を傾けた。ラーマクリシュナは、彼女に家事のやり方を学ばせ、また彼女が人の性格を知り、お金を有意義に使い、そしてそれらにまして自分のすべてを神に任せきり、時と場合に応じて常に正しく振る舞う者となるように、気を配って教育した。また彼女の方も、ラーマクリシュナを自分のイシュタ(理想神)と見て、生涯をかけての崇拝を捧げ、彼の教えに素直に従って自分の生活を形成した。
バイラヴィー・ブラーフマニーは、かつてラーマクリシュナがトータープリーからイニシエーションを受けてヴェーダーンタの修行を始めたとき、それに反対した。なぜなら彼女はそこにおける母なる神の意思を理解できず、そのような非二元的な道に足を踏み入れることによって、ラーマクリシュナが母なる神への愛を失ってしまうと考えたからである。
そして今回も彼女は、ラーマクリシュナが親身になってサーラダーを教育する姿を理解できなかった。彼女は、禁欲の道を行っているラーマクリシュナが、妻とそんなにも密接に交わるのはよくないと考えたのだった。
しかしトータープリーのときと同様に、ラーマクリシュナはこのブラーフマニーの忠告に耳を傾けなかった。ブラーフマニーは、ラーマクリシュナが自分の言うことを聞かずにサーラダーと関わり続けたことで、ひどく感情を害した。このことが彼女の中にエゴイズムを生じさせ、それはやがて大きなプライドと虚栄心にまで悪化し、ついにはしばしばラーマクリシュナへの信仰を失うまでになった。
彼女はときどき、自分の乱れた感情をあからさまに外に表した。たとえばもし誰かが彼女に霊的な質問をして、さらに後でラーマクリシュナに意見を聞こうと言うと、彼女は激怒し、「彼が何を言うことができますか! 彼の目を開いたのは私なのです」などと言うのだった。また、つまらない理由から、あるいはときには全く何の理由もなく、彼女は村の婦人たちを叱った。
このような言葉や高圧的な振る舞いをするようになっても、ラーマクリシュナはブラーフマニーを変わらずに敬い続けた。サーラダーも、彼女を義母のように敬い、常に愛を込めて献身的に彼女に仕えた。そして自分は無智な少女であると思い、彼女のいかなる言葉や行為にも逆らわなかった。
そしてブラーフマニーのこのような頑迷な心と態度は、ついにある騒ぎを引き起こしてしまった。
それは、高いカーストに属するブラーフマニーが、ある低い階級の信仰深い男の食べ終わったプラサードの後片付けをすると言い張った事から始まった。
高い見地から見れば、そのようなことに生まれなどは意味がなく、信仰深い人物は階級にかかわらず敬われなければならないのが真実であるが、このようなインドの田舎の村では伝統的な慣習に対して極度に保守的なので、普段はブラーフマニーの言うことを大人しく聞いていた人々も、断固としてブラーフマニーに意義を唱えた。このようなつまらないことから取り返しのつかない大きな問題に発展することもあることを知っているフリドエは、慣習に従ってくれるようにとブラーフマニーに頼んだ。しかしブラーフマニーが受け入れなかったので、二人は激しく口論した。やがて人々が集まってきて二人を仲裁し、慣習に従ってくれることをブラーフマニーに懇願した。
ブラーフマニーはここでやっとみんなの意見に従ったが、自分の意志が受け入れられなかったことで、ひどくプライドを傷つけられたと感じた。
しかししばらくして怒りがしずまってきたとき、ブラーフマニーは深く内省し、近頃の自分の考えや態度の誤りを理解し、反省した。
ブラーフマニーのような賢者でも、プライドやエゴイズムなどの罠によって、智性に曇りが生じ、道を見失う。しかしその人が心の奥に誠実さや優れたセンスを持っているならば、それらのエゴやプライドが大きく傷つけられたとき、逆に自分の過失に気づき、心をもとに戻すことができるのである。
ブラーフマニーはこうして今やっと、ラーマクリシュナに対する自分の態度のよこしまなる変化に気づき、それを強く後悔し、反省するようになった。そしてその数日後、彼女はラーマクリシュナに心から許しを乞うた後、彼にいとまを告げて、すべての心を神に捧げつつ、カーシー(ヴァーラーナシー)へと向かった。
こうしてブラーフマニーは、6年という長い歳月をラーマクリシュナとともに暮らした後に、彼に別れを告げたのだった。
そしてラーマクリシュナは約七ヶ月間をカマルプクルで過ごし、もとの健康を取り戻したので、おそらく1867年の末頃、ドッキネッショルへと帰った。