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要約・ラーマクリシュナの生涯(21)「ラーマクリシュナの聖地巡礼と、フリドエのヴィジョン」①

21 ラーマクリシュナの聖地巡礼と、フリドエのヴィジョン

◎デーオーガルにて

 モトゥルは、北西インドの聖地巡礼の計画を立てていた。そしてその旅には大勢の人々が同行することになり、モトゥルの熱心な懇願によって、ラーマクリシュナも母と甥のフリドエとともに同行することとなった。

 モトゥルは吉日を選び、1868年1月27日に、一行とともに出発した。
 ラーマクリシュナ、ラーマクリシュナの母、フリドエ、モトゥル、モトゥルの妻、モトゥルの息子の妻、モトゥルの家のグルの息子、コック、そして大勢の召使いたちを含む、総勢125名の一行であった。この旅行のために、二等車が一両、三等車が三両、鉄道会社から借り切られた。
 
 一行はまず、カーシーに行く前にデーオーガルのシュリー・ヴァイディヤナートを訪れ、数日間、そこで休んだ。そこで人々の貧困のさまを見て心を痛めたラーマクリシュナは、資産家であるモトゥルにこう言った。

「あなたは<母>の財産の管理人に過ぎないのだ。この人々の各々に頭を冷やすだけの油と布を与え、一度皆に腹いっぱい食べさせてあげなさい。」

 これを聞いてモトゥルは少しためらい、こう言った。

「父よ、巡礼にはたくさんのお金がいりますし、貧しい人々はあまりにも大勢です。そういうことを始めると、後でお金が足りなくなるかもしれません。」

 するとラーマクリシュナは、

「恥知らずな人だ。私はもう、あなたのカーシーへは行かない。彼らと一緒にここに残る。彼らは、自分の物といえる物は何も持っていないのだ。」

と言うと、子供のようにかたくなになって、貧しい人々の中に一緒に座り込んでしまった。

 そこでモトゥルはカルカッタから布の束を取り寄せ、ラーマクリシュナの言葉通りにした。村人たちが幸せそうなのを見て、ラーマクリシュナも嬉しくなり、喜んでモトゥルたちと共にカーシーへと旅立った。

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