要約「シクシャー・サムッチャヤ」(16)「愛欲の難」
◎愛欲の難
もろもろの愛欲は、難である。ゆえに愛欲を離れ、過去の愛欲の行為を懺悔すべきである。
出家修行者が、異性の歌や踊りを見たり聞いたりして心が正智から離れ、また異性と笑い戯れることによって愛欲が増大し、精を漏らした場合、彼はアグニ・クンダと呼ばれる地獄に落ちる。そこでは焼けた鉄が雨のように降り、体は砕けて微塵となる。また、熱湯が雨のように降り、彼の体は焼かれ、煮られる。
また、過去の愛欲の行為をイメージする出家修行者は、地獄に落ちて煮られ、獄卒に体を刺される。
「邪悪な愛欲」とは、男同士で愛欲を楽しむことである。そのような愛欲を追求した者は、さまざまなタイプの地獄に落ちる。たとえば彼は死後、地獄の河の中に、素晴らしく美しい男児がいるのを見る。過去の悪業によって彼はその男児に強い愛欲を生じさせる。そして彼がその愛欲によって河に飛び込むと、燃え盛る炎の河によって体を焼かれ、苦しみ続ける。
「極めて邪悪な愛欲」とは、動物とセックスをすることである。このようにした者は地獄に落ち、牛やシカがいるのを見る。彼はその動物に愛欲を感じ、近づくと、その動物たちが発する炎によって焼かれ、十万年以上も苦しみつづける。
また次に、戒律を守っている修行者を強姦した者は、大地獄に落ち、これまであげた以上の激しい苦痛を受ける。
よって、愛欲は難であると知るべきである。カーマーパヴァーダーカ・スートラには、こう説かれている。
「出家修行者は、この道を恐れ、愛欲の心を断つべし。
この愛欲の道は、極めて険悪である。不善なる人はこの道に親しみ近づくが、もろもろの正しい人はこの道を否定し、遠く離れる。汝もこのように思惟し、ほんの少しといえども、愛欲に愛著することなかれ。世尊は、愛欲による多くの苦しみ、多くの難、および多くの罪けがれを説かれた。
この愛欲は、もろもろの罪のもとである。愛欲は夢の如し。愛欲は虚妄の法なり。愛欲は死なり。愛欲は空なり。愛欲は無常なり。愛欲は過失なり。誰がこのような愛欲に愛著すべきであるか。
愛欲は鹿が猟師に縛られる如し。愛欲は魚が漁師にとらえられるが如し。愛欲は蛾が火に飛び込むが如し。
愛欲をイメージし、求める者は、たとえるならば、暗闇の中でライオンの口の中に突っ込みながらそれに気づかない者のようなものである。毒蛇の群れの中に突っ込みながらそれに気づかない者のようなものである。盗賊の中に突っ込みながらそれに気づかない者のようなものである。
愛欲において慎み、愛欲に親しみ近づくことなかれ。近づくならば地獄に落ちる。
やめよ、やめよ。常に愛欲の心を断ずべし。」
最上授所問経には、こう説かれている。
「異性を見たならば、次の三つの思いを起こすべし。
異性は戒の障害である。
異性はサマーディの障害である。
異性は智慧の障害である。」
チャンドローッタラーダーリカーパリプリッチャー(月上童女所問経)には、次のように説かれている。
「もろもろの人々が愛欲に親しみ近づいているのを見て、月上童女は空中に昇り、人々に言った。
『汝ら、黄金色に輝くわが身体を見よ。心が欲を離れたが故に、このような清浄な身体を得たのである。
愛欲に耐え、感覚器官を調御し、清らかな禁欲行を修める者は、女性を見てもみな母や妹であると見る。それによって後に端正なる身体を得、人々は彼を見て常に喜ぶようになる。
私の毛穴から生ずる素晴らしい香りは国中に漂うが、これは愛著を離れた心より生じているのである。
汝は過去世において、わが父であった。私は過去世において、汝の母であった。お互いにお互いの父母であったことが何度もあるのだ。なにゆえに愛欲を生ずべきか。
私は過去世において、汝を害したことがあった。汝が私を害したこともあった。お互いに恨みあい、お互いに殺し合ったこともあった。なにゆえに愛欲を生ずべきか。
愛著の心があると、美しい身体を得ることはできない。愛著があると、悪趣に落ちる。愛著があると輪廻から解放されない。ゆえに愛著を捨てるべし。
愛欲愛著により、速やかに三悪趣に落ちる。あるいは盲目、聾唖、醜い身体等、世間のもろもろの過患は、愛欲愛著のためである。
あるいは転輪王、インドラ神、マハーブラフマ神などに至るのは、禁欲をし、広く神聖なる修行を修めるが故である。
または、愛欲に染まることを願う者は、象、馬、牛、虎、ラクダ、イノシシ、犬などとして生まれる。
王族、長者等の富者となるのは、広く禁欲行を行なった故である。
もしくはつながれ、幽閉される難、水難、火難、あるいは目や耳や手足を切られること、奴隷となること、これらは皆、愛欲愛著のためである。』」
また、日子王所問経には、次のように説かれている。
「異性を楽しむ迷妄なる者は、もろもろの暗闇に覆われ、魔の境界に住し、死後は悪趣に落ちる。大便に執着する虫の如く、けがれた愛欲に執着してそれを楽だと思う。
人は、体中の穴から、悪しき臭いの不浄物を流す。愚か者はこのような肉体にとらわれ、肉体のけがれを認識しない。まさにそれは、ハエが不浄物に執着するがごときものである。そして死後は地獄に落ち、もろもろの大苦を受ける。
異性の身体は、臭いものの中でも、極めて悪臭のものである。ゆえに、そのような下劣なものに対する執着の思いを破れ。」
「愛欲にとりつかれた者は、異性のために所得を求めて働き、疲弊し、出家修行者やブラーフマナに布施をせず、異性に征服されて生きていく。布施や戒やもろもろの善なる修行を修めることはできず、また異性のために罵られ、縛られ、さまざまなひどい目に合うが、心がとらわれているが故に、それらを耐える。
愛欲を好む者は不浄であり、極悪臭であり、また世間の法においても犯罪を犯す。
愛欲を求め愛著するもろもろの愚か者は、ブッダの教えを否定し、ブッダの教えから遠く離れ、下劣なる愛欲に親しみ近づき、死後は悪趣に落ちる。
愛欲に酔い、戒を破り、清らかな生命を破り、もろもろの悪業を作り、死後は悪趣に落ちる。
もしこの正法においてもろもろの愛欲のデメリットを理解し、怠惰な心を生じさせなければ、常に清らかな天に生まれ、無上の覚醒を得ることも難しくはない。
この法を聞いたならば、速やかに正しい智慧を得て、出家の法門を悟り、もろもろの愛欲の行為から遠く離れよ。」
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