薄目
もともと救う者も救われる者も存在しない
しかし菩薩行に自らを捧げきった時、
そこに私の目覚めがある。
もともとここには私しかいない
彼も彼も、あの人もこの人も、この世界もただ、私である。
私しかいないということは、私はいないということ。
なぜなら、他者を前提としない私は存在しえないから。
そういう意味では無我であるが、
単に何もないという意味ではない。
他者を自分のように愛する、というのは、当たり前のこと
もともとすべて自分だから。
それは情緒的なものではなく、
自分の眼を大事にするような、無条件の、理由なき愛。
こだわりは、真我の悪夢。
とらわれが、多様性という偽りを生む。
ただ私が真に目覚めるならば
世界は救われる。
善と真理の教えは、この病の特効薬。
師と至高者への帰依が、私を正気に戻す。
無数の私たちよ、私は限りない愛を感じる。
そもそも輪廻は終わることはない。
もともと輪廻は始まっていないから。
空とは至福
空とは食う。
勘違いしないで聞いてほしいが
ブッダとは糞尿であり
至高者とは嘔吐物である。
これは目覚めつつある者のイメージだが
自分を正気だと思っている者が勘違いして認識すると
破滅に至る。
さあ、休息はこれくらいにして
夢の世界に戻ろう。
菩薩行。帰依。バクティ。真理の追究。
偉大なるブッダ、完全なる至高者との
リーラーを楽しもう。