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自由・平等・友愛と三毒とトンレン

 先日は、自由・平等・友愛(慈愛)が、仏教やヨーガの真髄であるという話を書きましたが、もう少しだけそれに補足します。

 仏教において、魂を苦しめる煩悩の中で、最も根本になるのが貪り・怒り・無智の三毒だといわれます。
 ヨーガ・スートラにおいては、貪り・怒り・無明に、生命欲と我想を加えて五つとしますが、生命欲は貪りに、我想は無智(無明)に含まれると考えて、ここでは三毒の説をとります。

 仏教やヨーガの修行とは結局、
①貪り(執着)から自由になること(解脱)
②怒りを超えて、慈愛を培うこと
③自分と他者を区別する無智を超えて、平等の智慧を得ること

この三つに集約されるわけです。

 よって、自由・平等・慈愛というのは、修行の真髄なんですね。

 そしてそのためにはさまざまな角度からの修行が存在するわけですが、最も簡単にその真髄を表しているのが、ここでも何度も紹介している「トンレン」です。

 トンレンにおいては、まず自分の幸福を他者に差し出す瞑想をします。これによって、エゴの執着から自由になっていきますし、また、他者の幸福を願う慈愛の気持ちが培われます。

 そして他者の苦悩をすべて受け取る瞑想をします。これによって何が起きるのでしょうか? この苦悩は黒いエネルギーとして自分の中に入ってくるというイメージです。この苦悩のエネルギーは、暴力的なものであるがゆえに、それによって自分が破壊されてしまいます。しかしそれは、自分の幸福が破壊されるわけではありません。まさに自分(エゴ)が破壊されるのです。つまりエゴの執着という牢屋が破壊され、魂は自由を得るのです。
 そしてもちろん、他者の苦悩を自分がすべて引き受けたいという慈悲の心も培われていくでしょう。

 そしてこの全体のプロセスが、自分と他者を区別する無智を破壊し、平等の智慧を培わせていきます。
 正確に言うと、この修行は、「自分と他者の平等視」の修行ではなく、「自分と他者の転換」の修行と呼ばれます。
 この発想を最初に明確に示したのは、私が知る限りナーガールジュナです。その後にシャーンティデーヴァがよりそれを強く打ち出し、そしてチベットではトンレンという実質的な瞑想として完成しました。
 
 「私とあなたは平等に幸福になってほしい」というのが「自分と他者の平等視」ですが、そうではないのです。
 もともと私たちには、「自分は幸福であれ。他者は自分の幸福のためにはどうなってもいい。」というエゴがあります。どんなにきれいごとを言っても、私たちの心の奥にあるエゴの本質は、こういうものです。
  
 これを破壊するには、荒療治が必要なのです。
 つまり「平等に見る」なんて生ぬるいやり方ではなく、完全に転換、自分と他者を入れ替えてしまうのです。 
 つまり、「他者は幸福であれ。自分は他者の幸福のためにはどうなってもいい」という発想ですね。
 これくらい強い、エゴへのアンチテーゼをぶつけないと、友愛とか慈愛とか言っても、表面的なものに終わってしまいます。

 このようにトンレンは、エゴの執着からの自由、他者への怒りや嫌悪感を超えた慈悲の心、そして自分と他者の転換という荒療治により平等の智慧を深めていくという、仏教のすべての真髄が秘められた修行であるともいえるのです。

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