考想存続経
考想存続経
このように私は聞いた。
あるとき世尊は、サーヴァッティのジェータ林にあるアナータピンディカ長者の園に住んでおられた。そこで世尊はビックたちに語りかけた。
「ビックたちよ。」
「尊師さま」
と、彼らビックたちは世尊に応答した。世尊はこうお説きになった。
「より優れた心を修行するビックは、五つの兆相に、時に応じて心を注ぐべきである。五つとは何か。
ビックたちよ。ここにビックがいて、その兆相に出会って、その兆相に意を注ぐと、もろもろの悪い、不善の、欲を伴いもし、嫌悪を伴いもし、迷妄を伴いもする思いが生起するのであれば、ビックたちよ、そのビックはその兆相とは別の、善を伴う兆相に意を注ぐべきである。そのビックがその悪い兆相とは別の、善を伴う兆相に意を注ぐならば、もろもろの悪い、不善の、欲を伴いもし、嫌悪を伴いもし、迷妄を伴いもするそれらの思いは捨てられ、それらは消滅していく。それらを捨てると、もう内部に心が確立し、安座し、専一となって定まる。
例えば、ビックたちよ、有能な建築家、あるいは建築家の内弟子が、精妙なくさびをもって粗雑なくさびを取り出して除きどけるように、まさに同様に、いいかね、ビックたちよ、ビックがその兆相によってその兆相に意を注ぐと、もろもろの悪い、不善の、欲を伴いもし、嫌悪を伴いもし、迷妄を伴いもする思いが生ずるならば、ビックたちよ、そのビックは、その兆相とは別の、善を伴う兆相に意を注ぐべきである。彼がその悪い兆相とは別の、善を伴う兆相に意を注ぐならば、もろもろの悪い、不善の、欲を伴いもし、嫌悪を伴いもし、迷妄を伴いもするそれらの思いは捨てられ、それらは消滅していく。それらを捨てると、もう内部に心が確立し、安座し、専一となって定まる。」
「ビックたちよ。もしそのビックが、その兆相とは別の、善を伴った兆相に意を注いでいるのに、悪い、不善の、欲を伴いもし、嫌悪を伴いもし、迷妄を伴いもするもろもろの思いがまだ生起するのであれば、ビックたちよ、そのビックはそれらの思いの過患を考察すべきである。
『このようにもこれらの思いは不善である。このようにもこれらの思いは有罪である。このようにもこれらの思いは苦しみに成り果てる。』と。彼がそれらの思いの過患を考察するならば、悪い、不善の、欲を伴いもし、嫌悪を伴いもし、迷妄を伴いもするそれらの思いは捨てられ、それらは消滅していく。それらを捨てると、もう内部に心が確立し、安座し、専一となって定まる。
例えば、ビックたちよ、女性でも男性でも、若くて青春期にあり、身を飾ることの好きな者が、蛇の死骸や犬の死骸や人間の死体を首にぶら下げると、困惑し、持ち去らせ、厭うであろうように、まさに同様に、確かに、ビックたちよ、もしそのビックが、その兆相とは別の、善を伴った兆相に意を注いでいるのに、悪い、不善の、欲を伴いもし、嫌悪を伴いもし、迷妄を伴いもするもろもろの思いがまだ生起するのであれば、ビックたちよ、そのビックはそれらの思いの過患を考察すべきである。
『このようにもこれらの思いは不善である。このようにもこれらの思いは有罪である。このようにもこれらの思いは苦しみに成り果てる。』と。彼がそれらの思いの過患を考察するならば、悪い、不善の、欲を伴いもし、嫌悪を伴いもし、迷妄を伴いもするそれらの思いは捨てられ、それらは消滅していく。それらを捨てると、もう内部に心が確立し、安座し、専一となって定まる。」
「ビックたちよ、もしそのビックがそれらのもろもろの思いの過患を考察しても、依然として悪い、不善の、欲を伴いもし、嫌悪を伴いもし、迷妄を伴いもする思いが生起するのであれば、ビックたちよ、そのビックはそれらの思いを思念せず、意を注がないようにすべきである。彼がそれらの思いを思念せず、意を注がなくすれば、それらは捨てられ、それらは消滅していく。それらを捨てると、もう内部に心が確立し、安座し、専一となって定まる。
例えば、ビックたちよ、眼をそなえた人が視野に入ってきた色形あるものを見たくないと欲するとしよう。彼は目を閉じるか、他のものに目をそらすだろう。まさに同様に、いいかね、ビックたちよ、もしそのビックがそれらのもろもろの不善の思いの過患を考察しても、依然として悪い、不善の、欲を伴いもし、嫌悪を伴いもし、迷妄を伴いもする思いが生起するのであれば、ビックたちよ、そのビックはそれらの思いを思念せず、意を注がないようにすべきである。彼がそれらの思いを思念せず、意を注がなくすれば、それらは捨てられ、それらは消滅していく。それらを捨てると、もう内部に心が確立し、安座し、専一となって定まる。」
「ビックたちよ、もしそのビックがそれらの思いを思念せず、意を注がなくしていても、依然としてもろもろの悪い、不善の、欲を伴いもし、嫌悪を伴いもし、迷妄を伴いもする思いが生起するのであれば、ビックたちよ、そのビックはそれらの不善の思いに関して、思いを作り出してとどまるものは何かということに意を注ぐべきである。彼がそれらの思いに関して、思いを作り出してとどまる者は何かということに意を注ぐと、悪い、不善の、欲を伴いもし、嫌悪を伴いもし、迷妄を伴いもするそれらの思いは捨てられ、それらは消滅していく。それらを捨てると、もう内部に心が確立し、安座し、専一となって定まる。
例えば、ビックたちよ、人が急いで行くとしよう。彼はこう考えるだろう。『いったい、なぜ私は急いでいくのか。さあ、私はゆっくり行くとしよう』と。彼はゆっくり行くとしよう。彼はこう考えるだろう。『いったい、なぜ私はゆっくり行くのか。さあ、私は立ち止まろう』と。彼は立ち止まるとしよう。彼はこう考えるだろう。『いったい、なぜ私は立ち止まっているのか。さあ、私は横になろう』と。彼は横になるだろう。実際、このように、ビックたちよ、その人は次第に荒っぽい行動を除去して、次第に精微な行動をなすだろう。
まさに同様に、ビックたちよ、もしそのビックがそれらの思いを思念せず、意を注がなくしていても、依然としてもろもろの悪い、不善の、欲を伴いもし、嫌悪を伴いもし、迷妄を伴いもする思いが生起するのであれば、ビックたちよ、そのビックはそれらの不善の思いに関して、思いを作り出してとどまるものは何かということに意を注ぐべきである。彼がそれらの思いに関して、思いを作り出してとどまる者は何かということに意を注ぐと、悪い、不善の、欲を伴いもし、嫌悪を伴いもし、迷妄を伴いもするそれらの思いは捨てられ、それらは消滅していく。それらを捨てると、もう内部に心が確立し、安座し、専一となって定まる。」
「ビックたちよ、もしそのビックがそれらの思いに関して、思いを作り出してとどまるものに意を注いでも、依然としてもろもろの悪い、不善の、欲を伴いもし、嫌悪を伴いもし、迷妄を伴いもする思いが生起するのであれば、ビックたちよ、そのビックは、歯を食いしばって、舌をもって上あごを抑え、心をもって心を強く抑え込むべきであり、強く圧迫すべきであり、強く苦しめるべきである。彼が歯を食いしばり、舌をもって上あごを抑え、心をもって心を強く抑え込み、強く圧迫し、強く苦しめるならば、およそ悪い、不善の、欲を伴いもし、嫌悪を伴いもし、迷妄を伴いもするそれらの思いは捨てられ、それらは消滅していく。それらを捨てると、もう内部に心が確立し、安座し、専一となって定まる。
例えば、ビックたちよ、力持ちの人がいて、より力の弱い人の頭をつかみ、あるいは肩をつかんで、強く抑え込み、強く圧迫し、強く苦しめるようなものである。まさに同様に、ビックたちよ、もしそのビックがそれらの思いに関して、思いを作り出してとどまるものに意を注いでも、依然としてもろもろの悪い、不善の、欲を伴いもし、嫌悪を伴いもし、迷妄を伴いもする思いが生起するのであれば、ビックたちよ、そのビックは、歯を食いしばって、舌をもって上あごを抑え、心をもって心を強く抑え込むべきであり、強く圧迫すべきであり、強く苦しめるべきである。彼が歯を食いしばり、舌をもって上あごを抑え、心をもって心を強く抑え込み、強く圧迫し、強く苦しめるならば、およそ悪い、不善の、欲を伴いもし、嫌悪を伴いもし、迷妄を伴いもするそれらの思いは捨てられ、それらは消滅していく。それらを捨てると、もう内部に心が確立し、安座し、専一となって定まる。」
「いいかね、ビックたちよ。ビックがいて、およそその兆相に出会って、その兆相に意を注ぐと、もろもろの悪い、不善の、欲を伴いもし、嫌悪を伴いもし、迷妄を伴いもする思いが生起するので、彼がその兆相とは別の、善を伴う兆相に意を注ぐと、もろもろの悪い、不善の、欲を伴いもし、嫌悪を伴いもし、迷妄を伴いもするそれらの思いは捨てられ、それらは消滅していく。それらを捨てると、もう内部に心が確立し、安座し、専一となって定まる。
それらの思いの過患を考察しても、もろもろの悪い、不善の、欲を伴いもし、嫌悪を伴いもし、迷妄を伴いもするそれらの思いは捨てられ、それらは消滅していく。それらを捨てると、もう内部に心が確立し、安座し、専一となって定まる。
それらの思いを思念せず、意を注がなくしても、もろもろの悪い、不善の、欲を伴いもし、嫌悪を伴いもし、迷妄を伴いもするそれらの思いは捨てられ、それらは消滅していく。それらを捨てると、もう内部に心が確立し、安座し、専一となって定まる。
それらの思いに関して、思いを作り出してとどまるものはなにかということに意を注いでも、もろもろの悪い、不善の、欲を伴いもし、嫌悪を伴いもし、迷妄を伴いもするそれらの思いは捨てられ、それらは消滅していく。それらを捨てると、もう内部に心が確立し、安座し、専一となって定まる。
歯を食いしばり、舌をもって上あごを抑え、心をもって心を強く抑え込み、強く圧迫し、強く苦しめると、もろもろの悪い、不善の、欲を伴いもし、嫌悪を伴いもし、迷妄を伴いもするそれらの思いは捨てられ、それらは消滅していく。それらを捨てると、もう内部に心が確立し、安座し、専一となって定まる。
ビックたちよ、このビックはもろもろの思いが成りゆく道に関して自在者である、といわれる。およそ望む思いであればその思いを思い、望まない思いであればその思いを思わないであろう。渇愛を断ち切って除去し、正しく自我意識を止滅させて、苦しみを終わらせた。」と。
このように世尊はお説きになった。意を得た彼らビックたちは、世尊が述べたことに大いに歓喜した。