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縁起の歌・2

悟りを得ていないから
経験や情報に翻弄される
経験や情報によって、ものの見方の方向性が決定される

ものの見方の方向性が決定されることで、
私たちは、体、感覚、心、経験のデータ、そしてその固定的なものの見方に縛り付けられる

そして私たちは、経験から来る間違った欲望により、欲望の対象を追い求め
それをまた経験する

視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚・意識という六つの感覚によって経験されたそれらは
ありのままに経験・評価されることは決してない
なぜならこの感覚というものも、過去の経験から来る偏見に満ちた観念に支配されているからだ

その誤った苦楽の感覚を味わい
誤った、喜びと苦しみの感情が生じる

それが誤った情報として心の奥にインプットされ
このインプットされた誤ったデータが、誤った観念の方向性をより強める

このプロセスが繰り返されることにより、その誤った観念は完全に固定され
私たちはその喜びと苦しみの対象に縛り付けられる

そしてそれらはこの粗雑な世界にあるものなので
私たちはこの粗雑な世界に強く縛り付けられるのだ

そうして私たちは瞬間瞬間、この粗雑な欲望の世界に現われているのだ
快楽という罠に引っかかり
気付いたら、苦しみの世界に縛り付けられているのだ

魔が支配するこの苦悩の世界から脱出したかったら
喜びと苦しみの対象から脱出しなければならない
快と不快、苦しみと喜び、称賛と非難、得ることと失うこと--こういったものに一切とらわれてはならない

とらわれないためには、常に経験と自己の心の反応を観察し
この世界の真実を探らなければならない

そのためには、そもそも快楽の対象を求めたり、苦悩の対象を避けてはいけない
ただただカルマの流れの中で、自己を捨て、神とブッダにすべてを任せ、
神とブッダの意思のままに、ただ自己の為すべき使命を果たすのだ

それを実践するためには、固定観念を壊さなければならない
過去世から培ってきたものの見方から解放されなければならない

その指針として、真理の教えを学べ
自己の観念を一切入れず、真理の教えと、師や聖者の言葉のままに生きるのだ
そのような教えや師や聖者に出会える者は稀であり、幸いである
そしてそれを実践できる者はもっと稀であり、幸いである

そしてそのためには、過去の経験にとらわれる習性を捨て
ただただありのままに、悟りを得よ

過去の経験から来る心の虚偽性を見抜き
心の本質の、他によらぬ生来の輝きに気付け

口で『悟りだ』『心の本質だ』と言うだけでは
それはただ新たな情報と観念となり、より魔の罠にはまっていくだけだ

真理を学び、ただ教えと師の言葉のみを実践し
自分の考えを放棄し、固定観念を壊し
快楽を求めず、苦悩を避けず、ただカルマの流れと神とブッダの意思にすべてを任せ
なすべき事を全力で行ない
経験することや自己の心の働きを常に観察し続け
快と不快、苦しみと喜び、称賛と非難、得ることと失うこと、これらの一切にとらわれない
これらの道を実際に真剣に歩く者のみが
真の解放を得るだろう

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