素晴らしく光り輝き、清浄なる心
修行者が、邪まに向けられた心で無明を破り、明智を生ぜしめ、ニルヴァーナを現証するという道理はありえない。
修行者は、正しく向けられた心で無明を破り、明智を生ぜしめ、ニルヴァーナを現証するのである。
この世において、ある人々の心が汚れているのを、わたしは他心通によって知っている。もしこの人が今死んだならば、彼は地獄に運ばれる。それは、彼の心が汚れているからである。
心が汚れていることによって、このように、人々は、身体が壊れて死んだ後、苦しみの世界・悪趣・険難処・地獄に生まれるのである。
この世において、ある人々の心が清らかなのを、わたしは他心通によって知っている。もしこの人が今死んだならば、彼は天界に運ばれる。それは、彼の心が清浄であるからである。
心が清浄であることによって、このように、人々は、身体が壊れて死んだ後、善趣・天界に生まれるのである。
例えばにごり、汚れ、泥の混じった池があるとしよう。そこにおいては、貝も、砂も、石も、魚の群れも、見ることはできないようなものである。それは、水がにごっているからである。
同様に、にごった心を持つ者は、自己の利益を知ることはできず、他人の利益を知ることはできず、常人の法を超えた殊勝なる聖なる叡智の見解を現証することはできない。それは、心がにごっているからである。
例えば清く澄み、清浄で、にごっていない池があるとしよう。そこにおいては、貝も、砂も、石も、魚の群れも、見ることができるようなものである。それは、水がにごっていないからである。
同様に、修行者はにごっていない心によって、自己の利益を知り、他人の利益を知り、常人の法を超えた殊勝なる聖なる叡智の見解を現証することができる。それは、心がにごっていないからである。
修行者たちよ、この心は、すばらしく光り輝き、清浄なるものである。
そしてそれは、外的な煩悩の汚染によって染められるのである。
――仏陀釈迦牟尼
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