第6章 ディヤーナ・ヨーガ
(1)[粗大なディヤーナ]
自分の心臓の中に、至上の甘露の海を観想すべし。
その大海の真ん中に、高貴な宝石の砂でできた島がある。
島には美しい花を豊かにつけた木が生い茂り、花の香りが四方に立ちこめている。
この島の中央に魅惑的な一本の樹があるとヨーギーは想像すべし。この樹には四本の枝があり、常に花と実がついている。これは四ヴェーダをあらわしている。
そこでは大蜂がうなり、鳥が歌っている。
行者は不動の心で、そこに宝石作りの庵を想像すべし。
その庵の中央にはすばらしい椅子があって、自分のイシュタ(理想神、守護神)がその上に座したまうとヨーギーは想像する。この観想の仕方はグルたちが古来から説いてきたことである。
そして、この守護神の姿はどうか、装身具や持ち物はどんなものか、と絶えず観想することが、いわゆる粗大なディヤーナである。
[粗大なディヤーナの別法]
千の花弁のある大蓮華の花心の上に、十二の花弁を持つ可憐な小蓮華がついていると観想すべし。
その小蓮華は白色で、強い光を放っている。
この小蓮華の中心に三角形があり、その中央にオウム字が鎮座する。
オウム字の上にはナーダがあり、その上に二羽の白鳥がおり、そして行者のグルなる神が、三つの目を持ち、真っ白な衣を着け、ビャクダンの粉末を身に塗った姿でましますのを観想すべし。
そして、グルなる神の真っ白な花をつづった首飾りと、左に寄りそう、鮮血にまみれたシャクティ神妃を観想すべし。
かような仕方でグルを観想することによって、粗大な観想は終了する。
(2)[光明のディヤーナ]
この光明のディヤーナを修習すれば、ヨーギーはヨーガを達成し、真我を直観するに至るであろう。
ムーラーダーラの部位に、蛇の姿をしたクンダリニーがおられる。そこにジーヴァートマン(自己の魂)は灯明の炎のような姿で立っている。これを光明体なるブラフマンとして観想すべし。
これが至高の光明観想である。
[光明のディヤーナの別法]
眉間の中央、ブラフマ・ランドラの上に、聖音オームよりなる光がある。この炎を観想すべし。これが光明観想である。
(3)[微細なディヤーナ]
グルの祝福という大きな幸運を受け、行者のクンダリーが目覚め、そのクンダリーが行者の真我と一体化したとき、それは目の穴から行者の身体の外に出て、外の世界を散歩する。ただし、それは普通の人の目には見えない。
ヨーギーはシャーンバヴィー・ムドラーなるディヤーナ・ヨーガによって、この行を達成することができる。
この微細なるディヤーナは秘法であって、神々といえども容易に得がたいものである。
光明のディヤーナは粗大なディヤーナの100倍、微細なディヤーナは光明のディヤーナの100万倍も優れている。
これらの方法によって、真我は直観されるに至るであろう。それゆえにこのディヤーナ・ヨーガは尊重せられるのである。
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