第四章 詞章1 五体投地
第四章 詞章
マントラというのは音のヴァイブレーションですが、詞章というのは、日本語で書かれた意味ある言葉です。
こういった神聖な詞章を、日々何度も何度も唱えることで、自分の心に良い習性を植え付けることができ、日々真理から心を離さない、念正智の実践に大いに役立ちます。
1 五体投地
五体投地は正確には詞章というわけではありませんが、カテゴリー分けの便宜上、ここに入れておきます。
五体投地はチベット仏教で行なわれているのが有名ですが、実際はチベット仏教の専売特許ではなく、インドのヒンドゥー教寺院でも、熱心に五体投地式の礼拝をする信者の姿が見られます。全身を投げ出す最高の礼拝として、古来から尊ばれてきたものです。
五体投地にはいくつかのやり方がありますが、いずれのやり方にしろ、10万回以上を目指すようにします。
◎基本
①直立し、手は蓮華印を組み、頭上に伸ばします。
②蓮華印を下ろし、各チャクラにあてていきます。
③額、両肘、両膝を、地につけます。
④全身を地に投げ出すようにして礼拝します。
②において、どのチャクラに蓮華印を当てるかは、いくつかのやり方があります。
1.頭頂・喉・胸の三ヵ所
2.頭頂・喉・胸・臍の四ヵ所
3.頭頂・眉間・喉・胸・臍の五ヵ所
以上のどのやり方でもかまいません。
④において、礼拝の仕方にもいくつかのパターンがあります。
1.完全に全身を投げ出す。
2.額・両肘・両膝を地につけただけで立ち上がる。
3.額・両肘・両膝を地につけた後、腰を入れる。
基本は1です。
簡単な礼拝として数回行なうだけのときは、2でもかまいません。
クンダリニー・ヨーガの修行として行なうときは、3が効果的です。その場合は、立つ時も、肩幅に足を開いて立つようにします。
また、各種のマントラや詞章を心の中で、または実際に声に出して唱えながら礼拝するのも効果的です。
病気などの理由で完全な礼拝ができない方は、正座した状態から礼拝するやり方でもかまいません。
五体投地を単なる礼拝として行なう場合は、ゆっくりと、無理のない程度で行なって構いません。
しかし悟りのための行として行なう場合は、スピーディーに、激しく行なうべきです。
後者の方法で行なうと、当然、体中に痛みやその他の症状が出てきます。
しかしその症状のあらわれ方は一様ではなく、それぞれが持つカルマをあらわしています。
簡単に例をあげると、
・地獄のカルマが強い人は、足が痛くなったり、全身に激痛が走ります。また、嫌悪や憎しみの感情にさいなまれます。
・邪淫のカルマが強い人は、膝や腰が痛くなったり、性欲の妄想にさいなまれます。
・動物(無智)のカルマが強い人は、ろれつが回らなくなったり、あるいは今自分が何をやっているのかわからなくなります。あるいは、すぐに礼拝をやめたくなってしまいます。
・人間のカルマが強い人、またはエゴが強い人は、心臓が痛くなったり、心悸亢進が起きたりします。
・阿修羅のカルマが強い人は、腕が上に上がらなくなったり、肩や首が痛くなります。
・悪口・嘘などの言葉のカルマが強い人は、喉がはれたり、声が出なくなります。
・天界のカルマが強い人は、気持ち良くなります。しかしそれは悟りの至福とは違い、性的快感に近い独特のエクスタシーです。その気持ちよさに浸り、礼拝ができなくなります。
これらの症状があらわれても気にせずに礼拝を続けることで、そのうち症状は消えていきます。これはその部分のカルマが、完全ではなくても浄化されたことを意味します。
つまりこの激しい五体投地の行は、ブッダや神への礼拝という行為のために、身体を投げ出すように捧げ、犠牲にすることによって、ブッダや神の祝福を受け、この汚れた身体・言葉・心を、清らかなものに作り替えていく行ともいえます。
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