yoga school kailas

神聖なる自己否定


 神聖なる自己否定が必要だ。
 そしてそれは実は、神聖なる自己肯定につながるんだ。

 今の自分の汚れを、決して肯定しちゃいけない。
 自分はまだまだだ、まだまだだ、と常に思い続けること。
 修行が進めば進むほど、その思いは強くなる。
 それが神聖な自己否定だ。
 そこに卑屈さはない。あるのは前進の意志だけだ。

 そして、それは同時に神聖なる自己肯定である。
 つまり自分は神に守られている。
 自分は今は汚れているが、本質的には穢れなき真我である。
 自分が真理を求め続ける限り、道は開かれる。
 そこには傲慢さはなく、また、ただの楽観視でもない。
 自己を投げ出したところにくる確信がある。

 間違った自己否定は、卑屈さを生む。それはプライドの裏返しに過ぎない。つまり間違った自己肯定が、間違った自己否定を生む。

 間違った自己肯定は、慢心を生む。それは心の弱さからくる。弱いから、逃げたいから、否定しなければならないことを肯定して、自分を安心させる。

 だから心の強さが必要だ。

 心の強さは、内側の強さだ。そして内側に強い人は、外側に優しい。

 卑屈にならずに、神聖なる自己否定をしよう。

 傲慢にならずに、神聖なる自己肯定をしよう。

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