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神への門

 ヒンドゥー教の大聖地の一つ、ヒマラヤの入り口にあるハリドワール(神への門という意味)の沐浴場、ハリキパイリ。

 最大の聖地ヴァラナシのガンガーは、表面的物質的には汚すぎて、沐浴するのを躊躇する日本人も多いようだが、このハリドワールあたりまで来るとかなり水は綺麗なので、ガンガーで沐浴したいけど病気になるのが怖いと思う人は、ここに行くといいと思います。デリーからも4、5時間ほどで行けます。

 しかしここは、行ったことがある人はわかると思うが、沐浴場というには、流れが異常に、あり得ないほど早い。
 流されないように、鎖がいくつもついている。みな、その鎖につかまりながら沐浴する。

 物好きなインド人たちは、この流れの異常に速い河を、こちらの岸からあちらの岸まで泳いで渡る。
 一生懸命泳がないと、流れの速さのために、横に流されていく。何とか頑張って、かなり流されつつ、あちら側に到着する。
 私も何度も、このハリドワールのガンガーの、こちらの岸とあちらの岸を往復した。
 「何のために?」と言われると困るが笑。
 子供の頃、友達と山奥の渓谷に行き、高い崖から川に飛び込んで遊んだ感覚と似ている。
 なんだかやりたくなる笑。
 何もせずに、こちらの岸でじっとしていれば、何もなく、安全であり、安穏であり、幸福である。
 しかし流れに飛び込み、泳ぎたくなるのだ。
 それは本当に、ゆらゆらゆったりと浮かんではいられない。かなり悪戦苦闘して頑張らないと、流されてしまい、あちら側にわたれないからだ。

 我々の輪廻も、このようなものなのかなと、ふと思う。
 何もしなければ我々は真我独存状態で安穏なのだが、なぜか我々は激流に飛び込む。流されながら一生懸命努力して泳ぐ。で、あっち側にわたり、わっはっは、楽しかったね、と笑う。
 つまり我々が今悪戦苦闘しているこの輪廻の苦しみも、すべては神のお遊びであり、真我のお遊びなのではないか。
 別に遊ばなくてもいいのだが笑、つい、飛び込んでしまうのだ笑
 しかしおぼれそうになりながら泳いでいる最中に、「何でこんなことをしてるんだろう」と考えてしまうと切なくなるので、考えない方がいい笑。
 自らが選んだこの泳いでいることの充実感と、向こう岸についたときの完全な安心を、忘れずにいることだ。
 あなたが小さい子供なら、それはお母さんにいいところを見せようとして、飛び込んだのかもしれない。
 向こう岸でハラハラしつつも子供を信じて腕を広げて待っているお母さんのもとへ、一生懸命、泳ぎ切るのだ。
 別にもともとお母さんの胸にいたので、そのままでも良かったのだが笑、子供というのはそういう冒険をしたがるものなのだ笑。

 あるとき見ていると、沐浴していた一人のインド人女性が、足を滑らせて激流に流されてしまった。すると即座に数人のインド人男性が慣れた感じで飛び込み、彼女を激流から救い上げた。
 救った男たちも、救われた女性も、わっはっは、良かったね、よくあることだ、という感じで談笑している。
 ああ、彼らが救済者、菩薩なのだな、と思った。

 さて我々も、泳いで流されそうになって遊んでいるだけではなく、
 どんなに体重の重い人も、泳ぎの下手な人も救えるように、
 極上のスイマーになろうではないか笑

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