神への門
ヨーガをはじめたことによって人生が変化しだす例というのは多い。
不思議なものだ。アーサナや呼吸法や瞑想を繰り返すことで、その人の人生の流れ自体が変わっていくのだ。もちろん教室では、考え方とか心の持ち方とか、そういう話もするけども、
ヨーガを始めて数ヶ月経つ人たちに、ヨーガを始めて良かった事を聞くと、肉体面のことよりも、精神面や現象面のことをあげる人が多い。もちろん、肉体面の効果がないというわけではないのだが(笑)、それ以上に、人生の流れが変わったという感覚が強いようだ。
それを私は客観的に、「神への門に足を踏み入れた」という感覚で見ている。
カルマは回る。複雑に絡み合い、転変する。人はカルマに導かれ、盲目の状態で、輪廻の中をさまよう。しかしそこに「ヨーガ」というカルマが加わると、もちろんまだ悪いカルマの束縛も多くあるのだが、魂は「神への門」をくぐり、魂の聖地への道を歩み始める。
それは、きれいごとや幸福なことばかりではない。しかし激烈な、流れの速い、そしてクリアな人生に変わっていくことだろう。
ところで、インドの有名な聖地の一つに「ハルドワール」という場所がある。これはまさに「神への門」という意味だ。正確には、シヴァ神を崇拝する人はここを「ハルドワール(シヴァ神への門)」と呼び、ヴィシュヌ神を崇拝する人は「ハリドワール(ヴィシュヌ神への門)」と呼ぶわけだが。
ここはヒマラヤから下ったガンジス河が地上に降りる地点であり、ヒマラヤ巡礼の入り口なんだね。だから「神への門」なんだ。
私はここに何度か言ったことがありますが、ここのメインガートの、ハイリキパイリという名前だったかな? そこは、ものすごく流れが速くてね、鎖がいっぱいつけられているんだ。沐浴中に流されないように、その鎖につかまるんだね。これは本当にしゃれにならないほど流れが速いので、鎖につかまっていないと本当に流されてしまいます。
さて、人が修行の道に入り、本人が気づこうと気づくまいと「神への門」にやってきたとき、人生の流れは、このハルドワールの急流のように速くなる。混乱するかもしれない。しかしそれは、やっと魂の聖地への旅が始まったことを意味する。そこで耐えられずに流されてしまう人もいるかもしれない。
だから神と自分をつなぐ鎖を、しっかりと握ることだ。再び悪しきカルマの汚濁の中に流されてしまわないように。
ハルドワールの流れは激しいが、ヒマラヤから降りたばかりの水なので、澄んだ透明な水だ。その澄んだ水の激しい洗礼で心身を清め、人は聖地への道を歩み始めるのかもしれない。
-
前の記事
11・12月の出張講習会(追加) -
次の記事
ヨーガの基礎(9)