神はあかしを必要としない
利己的な思い、商取引的な、ギブアンドテイク的な観念を完全に乗り越えた愛の人、恐れを知らない愛の人の理想は、どんなものでしょうか。
偉大な神に向かって、彼は言うでしょう、
「あなたに、私のすべてを差し上げます。
あなたから何一つ、いただきたいとは思いません。
本当に、私が我がものと呼べるものは、一つもないのです」
と。
人がこの確信を得ると、彼の理想は、完全なる愛の理想、完全なる愛の無恐怖というものになります。
このような人の最高の理想には、それが特別なものである、というような狭さはありません。それは普遍の愛、限界も束縛もない愛、愛そのもの、絶対の愛です。この、愛のダルマの壮大な理想は、いかなる象徴または暗示の助けもなく、完全にそのままで、礼拝され愛されます。これがパラー・バクティ(思考のバクティ)の最高の形です。他のすべてのバクティの形は、それに達する途中の段階に過ぎません。
・・・中略・・・
完成されたバクタはもう、神を見に寺院や教会には行きません。彼は、「彼」を見いださない場所などは知らないのです。彼は寺院の中と同様に、寺院の外にも「彼」を見いだします。彼は聖者の清らかさの中と同様に、悪人の悪さの中にも「彼」を見いだします。なぜなら彼はすでに「彼」を、常に輝き永遠にそこにある唯一全能の不滅の愛の光として、栄光のうちに彼みずからのハートの内に据え奉ったのですから。
――スワミ・ヴィヴェーカーナンダ
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