神の意思に全力を尽くす
◎神の意思に全力を尽くす
【本文】
『これまで私は理論的(サーンキャ)知識を述べてきたが、以後は真智(ブッディ)のヨーガについて聞くがよい。 この真智(ブッディ)のヨーガを実践することにより、君は己のカルマ(行為、因業)から解放されることとなろう。
このヨーガを実践すると、僅かの努力も実を結び、無駄や逆効果など一切なく、その人はどんな危険や恐怖からも護られることとなる。
クル王の子孫(アルジュナ)よ!断固たる意志と知恵を持つ者は、一つの目的に向かって行くが、それを持たぬ優柔不断の者は、多くの枝葉に目を向けてしまう。
知識の乏しい者達は、ヴェーダについて語りつつ、その中にある美辞麗句を弄び、これこそがヴェーダの真髄などとたわごとを言う。プリター妃の息子(アルジュナ)よ!』
はい。バガヴァッド・ギーターっていうのは、カルマ・ヨーガ、そしてバクティ・ヨーガの教えがすごく強いんだね。今の一節っていうのはつまり――さっきから言っていることだけど、バクティ・ヨーガ、神の意思を悟り、そしてカルマ・ヨーガ――それのみに全力を尽くす。
今日の話っていうのは、すごく真髄的なことなんだけど、さっき言ったように表現しづらいことでもあるので、みなさんもいろいろ考えて欲しいんですが。
私はやっぱり仏教でいう菩薩の道、これが一番いいと思う。つまり修行してみんなを悟らせるような人生というか。しかしそうじゃないカルマを、今生でいろいろやらなきゃいけない人もいるわけです。例えばヨーガとか修行とかやらせようとしても、全くそんなのはひっかからない人もいる。その人はじゃあ、一切神の意思がないのかっていうと、そうじゃなくて、その人なりの今生でやらなきゃいけないことがあるんだね。もしかするとその人はそこで失敗しなきゃいけないのかもしれない。
つまり、ものすごい煩悩にとらわれていて――ちょっと極端な例をあげるよ。煩悩にとらわれていて、お金が第一だと考えている。その人を連れて来て、「いや、お金は駄目だよ」と言っても通じない場合。この人は、全力で――例えば、ライブドアとかみたいに、全力で世界一の金持ちになろうと思って、全精力を傾けて事業に励み、すべてが崩れ、逮捕される。まあ、堀江さんがどうかは別にして、これは例としてね。そこで今生何かを悟るかもしれない。これが彼のカルマ・ヨーガの教えなんだね。でもここでね、「よし、俺はお金持ちになるぞ!」っていうときに、ここでお金じゃ駄目だって最初から気づくならいいんだけど、そうじゃなくて、お金持ちになりたいっていう気持ちはまだ強いんだけど、でも弱い心によって「いや、でもこれくらいにしとこうかな」とか、「いや、俺はお金持ちなんかになれるわけないな」とか止まってしまうと、そのお金持ちになり、破綻し、苦しみを味わい、悟るプロセスが進まないんだね。よってこの人は全力でお金持ちになる道を歩まなきゃいけない(笑)。これは一つの例ですよ。
全てが神の意思っていうのは、そういう感じでみんなを最終的に悟らせる方向で行こうとするんだけど、でも心の弱さとか心のけがれとかが多すぎると、どっちにも行けないっていうか。さっきも言ったように、この瞬間悟れるんだったら、修行できるんだったら、それに越したことはない。でもそうじゃないのに、自分カルマのことも全力でもやらないと。これはもう最悪なんだね。
例えばYさんとか、いつも例に出すけど(笑)、Yさんはここに最初来た時に、将来の夢をいろいろ語ってて。例えば、ヨーガの先生になりたいとか、あるいは筋肉を鍛えるインストラクターになりたいとか。でも自分の今の安定した会社に執着して、夢はあるけど動き出せないっていう状態だった。でもここでヨーガを続けて、それからインドのヴァラナシへ行って、何かが彼女のなかでバチッと変わったらしくて、そんな安定した収入とかそんなことにこだわっていても人生意味がないと。つまり彼女の一番求めるインストラクターとか、そういう道に向かって、会社をスパッと辞めて、その勉強を始めて、っていう道を全力で歩み出した。これが彼女にとっての、その時点でのカルマ・ヨーガっていうか、本当にやるべきことだったんだね。
だからその、すごくその受け取りかたって難しいんだね。難しいっていうか、難しくないんだけど、説明が難しいっていうか。でもその辺はみなさん、柔軟な心で受け取って欲しいね。
ここで書いてあるのは「それを持たぬ優柔不断の者は、多くの枝葉の道に心を向けてしまう」と。それは本当にその人がカルマっていうか、悟りに向かってやらなきゃいけない――例えば、さっきのお金持ちになる道でもいいよ。解脱の道でもいい。それはそれぞれ違うんだけど、優柔不断な者は――例えばお金持ちの例だったら、「ライブドア一流にしたいな」とか思いつつ、ちょっと心が弱くなって、「いや、ちょっとこっちもやったほうがいいかな」とか、「これもやろうかな」とか、「ちょっと俺は不安になってきたから、ちょっと逃げでこういう遊びをしよう」とか、いろいろそんなことをやっていると、だめなんだね。
つまりね、その人が経験しなきゃいけないことが100個ぐらいあって、それをすべて乗り越えて次のステージに進むときに、弱い人ってやっぱりいろんなところに目を向けながら行くから、進みが遅いんだね。本当にちょっとずつ、1、2、3って進む。
そうじゃなくて、全力で駆け抜けろと(笑)。12345678って、バーッとよそ見をせずに駆け抜けろと。それによって、カルマによって今生与えられたなすべきこと、あるいは神の使命みたいなものが消化されるんだと。
◎行動せよ
【本文】
『知識の乏しい者達は、ヴェーダについて語りつつ、その中にある美辞麗句を弄び、これこそがヴェーダの真髄などとたわごとを言う。プリター妃の息子(アルジュナ)よ!』
はい。つまりこの時代っていうのは、ヴェーダが第一の権威を持っていた時代だから、ちょうどこれは、キリスト教でいうと、イエスが現れて――旧約聖書に基づいて、自分たちは全く真理を悟り得ていないのに旧約聖書の言葉をいろいろやりながら聖者ぶって、人々を迷妄に導いている律法学者とかに対して、イエスがバーンと現われて、「お前たちは間違っている、私がキリストだ」って言ったように。あるいは仏教でいうと――仏教もすごくたくさん経典があるので、多くの僧や学者たちが、「仏陀はこう言いました」と。「真理はこうです、こうです」と言葉を弄んでると。そうじゃないんだと。じゃなくて、行動せよと。つまりこの生を、人生を、神の意思に基づいて全力で生きろと。これが、バガヴァッド・ギーターの大きな思想なんだね。
「ああ、これが真理か。なるほど」と研究をしている暇があったら、行動せよと。神の意思を生きろと。強烈なメッセージがあるね。