真我の純粋智性によって
ヨーガスクール・カイラス 勉強会より 抜粋
バガヴァッド・ギーター 勉強会
「第3章」
2007・1・17
※いずれ全文をまとめて本にする予定ですので、ご期待ください。
◎真我の純粋智性によって
【本文】
アルジュナが問いました。
『おお、ブリシュニ族の子孫であるクリシュナ様! 人は自分の意志に反し、つい罪深い行動をとってしまうことがありますが、これはいったい何の力によるものなのでしょうか?』
至高者が答えました。
『その力とは、ラジャス・グナから生じる欲望と憤怒の心から生まれる。
それは人を狂わせ罪を犯させる最大の敵である。
煙に巻かれた炎のように、埃に覆われた鏡のように、子宮に包まれた胎児のように、人の智性もさまざまな欲望によって覆われている。
このように、叡智は仇敵に覆われて曇っている。
消えることのない欲望の火こそ、その仇敵である。クンティー妃の息子よ!
欲望は、感覚器官と心と知性を住処とし、叡智を覆い隠し、人の魂を迷妄にする。
バーラタ王の最も優れた子孫よ! まず己の感覚器官を統御し、叡智と識別智を壊そうとする罪深き欲望を完全に消し去りなさい!
感覚は肉体より優れ、感覚より心は優れ、心より知性は優れているが、知性よりも彼(真我)はさらに優れている。
このように、知性よりも真我は優れていることを知り、その真我の純粋智性によって己の心を制御し、大いなる勇者よ、欲望という名の恐るべき敵を惨殺せよ!』
(松川)はい。これは素晴らしいですね(笑)。まあ簡単に言うと、さっき言った、三つのグナ。三つのグナっていうのは、まずラジャス・グナ。これはわれわれの心を欲望とか怒りとかに向かわせる動きのエネルギー。
タマス・グナっていうのは、われわれを、ボーッとした無智に陥らせる無智の闇のエネルギー。
サットヴァ・グナっていうのは、真理を見る光を与えてくれる――まあ迷妄の世界なんだけども、その中ではいいエネルギーだね。
で、このラジャス・グナが織り成す欲望や怒りの心によって、われわれは支配され、それによって自分の意志――つまり「私は正しく生きたい」と思っていても、グナによって発生する様々な欲望や怒りの心によって、どんどん罪深い行為をとってしまうと。巻き込まれてしまうっていうことだね。そして、つまりわれわれが悟る為の智慧を覆っているこのような欲望や怒りといったものこそが、われわれの最大の敵だと。
これはシャーンティデーヴァと同じような表現が使われているね。「欲望は感覚器官と心と知性を住処とし」と。つまり、われわれの感覚や心や知性といったものに、欲望は住み――住みと言うか、「寄生し」と言ったほうがいいかもしれないね。それによってわれわれの叡智は覆い隠されていると。
ここでね、「感覚は心より優れ云々」って書いてあるのは、これは仏教の五蘊と言ってもいいし、あるいはヨーガでいうところの五つの器っていう教えがあるんだけどね――それは何かっていうと、まずわれわれの最も外側にある雑なものは肉体だと。肉体よりもうちょっと内側にあるのが感覚であると。感覚よりもうちょっと内側にあるのがわれわれの心と言ってる。心よりもうちょっと内側にあるのが――これはまあ理性とか知性とかブッディとかいうんだけど。つまり普段われわれが、あーだこーだ考えてる心よりも、もうちょっと更に内側にある知性の根本みたいなもの。
しかしそれよりもそれを超えた、それとは一切本来関係がない、純粋な真我。ね。これは仏教的に言えばわれわれの心の本性と言ってもいい。空性と言ってもいい。――これこそが最も優れているって表現をここでは使ってるけども、それは本来は相対的にこう、優れてるってもんじゃなくて、それこそが唯一本当のもんなんだっていわけだね。もうちょっと正確に言うとね。
よって、単純なる知性――つまりわれわれがいろんなことを学んで、経験して、頭でいろいろ考えてとかそういうことよりも、全ての本質である心の本性。チベット的に言うとリクパを悟ることが最大の、最高の重要事項なんだね。だから常に心の本質を悟って、それによって恐るべき欲望という敵を惨殺せよと。
さあ、これはどういうふうに読むかっていうのはすごく難しいことだけど、今私が言ったような説明でここの今の一連のことを説明したとしたら、これはマハームドラーやゾクチェンの教えだね(笑)。こうなるとね。
心の本性をしっかりと悟って、それによって、相対的なわれわれの意識に根付いてる欲望は全て消えるんだと。
つまりそこにものすごい――例えばこういうことです。蛍が飛んでいると。「あ、この蛍をどっかにやんなきゃいけない。」一匹とって二匹とって……。「大変だなー」……そんなことやってるよりも、太陽の光を現わせと。つまりわれわれの本質っていうのは太陽であると。太陽の光が現れたときには蛍の光など見えなくなると。こういう感じなんだね。つまりわれわれの心の本性にアクセスすることが最も大事なんだっていう考え方だね。
ただしここで終わっては駄目なんですよ。ゾクチェンとかマハームドラーが間違えるパターンがあるとしたら、ここで終わるだけの場合。「心の本性にアクセスすればいいんだー」って言って、この世においてあまり努力をしない。こうなると、ちょっとこう――これはね、あるチベットの高僧も言ってるんだけど、マハームドラーとかゾクチェンって一歩間違えると動物界に落ちます(笑)。つまり「心の本性だー」とか言って――まあ、まさにここで否定されてたことだけど、なんにも活動せず――なんか本当は悟ってないんだけど、そのような瞑想に入ってるような気分になって、一生を送ると。単純に無智が増大して動物界に落ちると。
それではだめなんだね。だから心の本性に常にアクセスしながら、その心の本性から立ち現われる純粋智性によって神の意思を読み取り、それにのっとって全力で生きる。これがカルマ・ヨーガだね。なかなか難しいですね(笑)。