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生命力

 この間はかなり高度な、歓喜とエネルギーの話を書きましたが、今回はもう少しわかりやすいというか達成しやすい、エネルギーと歓喜の話をしましょう。

 人間が本来持っている生命力の素晴らしさを、皆さんは知っているだろうか?

 この生命力は、まず濾過され、昇華され、元素変化されなければならない。そしてこの昇華された生命力が、適切な方法で身体にめぐるならば、それはそれは素晴らしい人生が待っているだろう。

 その人は生きているだけで歓喜だ。身体は常にスムーズに動き、活力にあふれている。やるべきことに全力を注ぎ、休むときは安らかに休める。頭脳は明晰で、心は鮮明で安定する。常に心に幸福感があふれる。

 このような心身のシステムと、そのシステムを稼動させるためのエネルギーを、本来、すべての人は持っているんだ! 完全な解脱とか悟りまでいかなくてもね、ヨーガや仏教の修行を正しく進めると、ある段階で、このような状態にだんだんなっていくんだ。

 しかし、そのためのエネルギーを、我々はこのような本来の素晴らしい目的に活用していない。活用していなくても、もともとその元となるエネルギーはあるんだ。じゃあそのほっとかれたエネルギーはどうなるんだ? このエネルギーはもともと非常に強力なので、そのままにしておくわけにはいかない。だから人はそれを様々な低い形で消費するんだね。

 たとえばあるひとは怒りその他の心の興奮状態で消費する。人の心が怒りに燃えているとき、非常に大きなエネルギーを消費しているのはわかるだろう。馬鹿馬鹿しいと思わないか? 本来、強烈な歓喜と心の安定に使えるエネルギーを、心と体に悪い、自分にも他人にも悪い、怒りなんかに消費するなんて。

 あるひとは、たとえば射精という形で物理的に消費する。これももったいないね。一時的な性的エクスタシーよりも、そのエネルギーを昇華して身体にめぐらせたほうが価値がある。気持ちよさも違うし、何より終わることがない、漏れのない歓喜だからね。セックスの歓喜は非常に短く、しかも漏らした後、当然、エネルギー不足になる。

 あるひとは食物の消化という形で消費する。食物の消化には多くのエネルギーが使われる。もちろん、適度に食物をとり、それを消化することでさらに健康的なエネルギーを作り出す好循環が行なわれるならばそれは素晴らしいことだ。しかしそうではなく、単に味覚や、満腹感を追い求め、あるいはストレスなるがゆえに、あるいはそもそも昇華できないエネルギーを何とかしたいために、必要以上に食べる。そして結果的にエネルギーレベルを下げてしまう。

 このほかにも様々な形で、「煩悩」の表現により、人は聖なるエネルギーを、低レベルの形で消費し、喜んでいる。

 つまり、煩悩を昇華して聖なる歓喜に換えるというような表現が密教にはあるけれど、それは正確ではなくて、逆なんだ。もともと聖なる歓喜の源を我々は持っているんだけど、それが使えなくなっているがゆえに、低レベルの煩悩の消費という表現しかできなくなっているんだね。

 だから真の利益を知る人は、まず準備として、煩悩の習性を弱める。そしてエネルギーを本来の、最も価値のある状態で体を回せるようにしなきゃいけないね。そうすると、もう一度書くけど--その人は生きているだけで歓喜だ。身体は常にスムーズに動き、活力にあふれている。やるべきことに全力を注ぎ、休むときは安らかに休める。頭脳は明晰で、心は鮮明で安定する。常に心に幸福感があふれる。

 そのためにはナーディの浄化イコールカルマの浄化も必要だし、エネルギーを浄化して強化して上昇させることも必要だし、様々な体の詰まりを取り除くことも必要だし、もちろん心の浄化も必要だ。
実はここにおいて非常に大きな利益があるのは、慈悲とか四無量心の修行と実践だ。それは歓喜のエネルギーを強めてくれる。
 まあ、本当は一番手っ取り早いのは、しっかりと高い世界の神やブッダと心を合わせることなんだけどね。

 ちょっと表現としては密教的表現だったけどね。だから我々は、
戒を守らなきゃいけない。煩悩を落とさなきゃいけない。心を浄化しなきゃいけない。ヨーガや呼吸法その他でナーディを浄化しなきゃいけない。そして様々な瞑想等のプロセスを進めなきゃいけないんだね。それによって、最初に書いたように、悟りとか解脱までいかなくてもね、大変快活で充実した幸福な人生が待っていることでしょう。

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