現世的な幸福を求めて徳を積むことについて
以下は、ヨーガスクールの生徒さんからの質問への回答ですが、
他にも参考になる方もいるかもしれないので、ご紹介します。
【質問要約】
(…前略…)今後は、いっさいの悪業を積まない努力をしようと考えています。
そして、徳を積む行為も、何が徳につながるか分かりませんが、
とにかく徳の気配を感じたら、むりやりでも試みてみるつもりです。
そこで、質問です。
私は、現世的な面で幸せになりたいから、徳を積もうと思いました。
徳を積むことによって、徳を無駄遣いせず、
本当に得たいものを得るために、徳を貯めようと思いました。
仕事がうまくいったり、
友達と仲良くなったり、
素敵な恋人ができたり、
お金の悩みから解放されたり、
健康になって体の痛みがなくなったり、
人とのコミュニケーションがうまくなったり、
などなど、現世的なあらゆる幸福を求めて、徳を貯めようと思いました。
それで、幸せを実感したいと思いました。
こういう理由で徳を積むことは、正しいのでしょうか?
あるいは、そういった現世的なことに目が向くこと自体が、エゴを増大させることにつながるから、
もっと崇高なことで徳を積むことを考えるべきでしょうか?
【回答】
それは大丈夫ですよ。
修行というか魂の進化には段階があります。
普通はそういう徳の理論やカルマの法則を知らないため、法則に反する方法で無理矢理現世的に幸福になろうとします。その場合、一時的にはうまくいくこともありますが、実際には徳が減り、悪業が増えるので、精神的には安らぎを得られず、そして未来には多くの苦しみを受けなければならなくなります。
次の段階で、人が真理のダルマに巡り合うことで、カルマの法則を知り、法則にのっとった方法で徳を積み、悪業をやめ、そして過去に積んだ悪業を滅することで、現世的な幸福を得ようとします。これがNさんが書いていたことですね。これはこれで段階的にはOKです。
そしてさらに次の段階で、仮に徳を積んで現世的な幸福を得ても、すべては無常なので意味がないことを悟り、解脱を求めます。
さらに進むと、自分だけではなくすべての衆生の解脱のために修行したいという菩提心が目覚めます。
だから徳を積んで現世的な幸福を得ようというのも、ベクトルとしては間違ってはいません。
しかしその場合、お釈迦様が言うところの「功徳の器からあふれ出た功徳で生きる」ということを心がけたらいいと思います。
つまり、早急に結果を求めることなく、結果は気にせずにひたすら徳を積み、悪をやめ、そしてすべての苦しみは自分の過去の悪業の浄化だと考えて耐え続ける。
これを繰り返すことで、ある段階から徳があふれ出すようになれば、自然とすべてがうまくいくようになり、また精神的な幸福感や安定も増すでしょう。
あるいはあるとき智慧が目覚め、解脱や菩薩道などのより高い目的を持つようになるかもしれません。
とにかく、できるだけ徳を積み、悪をやめようと決意したのは素晴らしいことだと思います。頑張ってください。