無数の太陽と吉兆なるヴィジョン
今朝の夢の中で、吉兆なるヴィジョンがあらわれたので、書きとめておきます。
夢の中で私が瞑想していると、ハッキリとしたカラフルなヴィジョンがあらわれた。
それは、何度も行ったことがあるヒマラヤの聖地ガンゴートリーの風景だった。そのガンゴートリーの上空の澄んだ空に、いくつもの太陽が現れた。
そしてその太陽はそれぞれ、吉兆なるヴィジョンを従えていた。
それらはすべて一様な法則性のあるヴィジョンで、輝く太陽の下にカパーラやその他の台座のようなものがあり、その上に、あるものはカルタリ刀、あるものはダーキニーや女神、あるものは神々や仏陀、あるものは密教の聖者のようなものが乗っている。
そしてそれぞれの背景には、カラフルな虹のような装飾が施されている。
そのような吉兆なるヴィジョンが無数にヒマラヤの空いっぱいに満ち、それらの一つ一つが、あらわれては消え、あらわれては消えていった。
夢の中の私は、ハッキリした意識の中でその無数のヴィジョンを見ていた。
それらのヴィジョンの一つ一つは、よくあるタンカなどで描かれるような図案だったが、細かい部分が、見たことのないようなデザインや色合いだったので、私はそれを書きとめておきたいと思った。しかし目を開けて、もうヴィジョンがあらわれなくなってしまったらもったいないので、目をつぶって瞑想したままで、周りに筆記用具がないかを探す。しかしなかなか筆記用具が見つからなかった。
そのうち瞑想から覚めて、忘れないうちに、その辺にあった本に、簡単にそのヴィジョンの内容を書きとめ始めたが、全部書かないうちに、それまで書いたものが消えてしまっていた。それで、このヴィジョンは、この世に残せないものなのだろうかと思った。
夢から覚めた後も、それらのヴィジョンのだいたいの形は覚えているが、見たこともないような細部のデザインは忘れてしまっていた。
ところで私はこのガンゴートリーからさらにヒマラヤを登ったゴームクという聖地で、夢ではなく現実で、神々や女神や蓮華などの無数のヴィジョンが空にあらわれるのを見たことがあります。
今回の夢のヴィジョンもそのときと同じような感じでしたが、一つ一つのヴィジョンがそれぞれ輝く太陽と共にあったのと、虹などの装飾が非常にカラフルで美しかったので、大いなる祝福を感じました。
この祝福により、すべての衆生の修行が進みますように。
すべての衆生に、神仏の祝福がそそがれますように。
真理の太陽がこの世界に光り輝きますように。
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