校長ことマヘンドラナート・グプタの略歴(9)
「コタムリト」の出版の後、僧院やシュリー・シュリー・マーの住居に、次々と新しい信者たちが集まって来はじめた。「コタムリト」を読んで、出家の数も増えていった。苦悩の世の中に、平安の泉があふれて流れ出したのである。
スワミ・プレーマーナンダは、「コタムリトを読んで、幾千の人が救われ、無数の信者が至福の歓喜を味わい、また、どれほどの人々が世間の苦悩から救われて心の安らぎを得たことか――」と書いている。誰もが皆、神の化身であるシュリー・ラーマクリシュナが、現代の人類の救世主として出現したと考えていた。このお方の御足に命を捧げることによって、人生に平安がもたらされ、また、恐れは取り除かれるのだ。
1955年、マヘンドラの生誕100年祭に主催者の話として、ヘーメーンドラ・プラサード・ゴーシュ氏は、「シュリーマ(M)は、まず最初に、彼の『コタムリト』の刊行を通して、きわめて短期間のうちに、シュリー・シュリー・ラーマクリシュナ様のことを人々に知らせてくださった。この『コタムリト』が発表されなかったならば、世の人々の大聖師を知る機会はずいぶん遅れたことだろう。家住者としての義務を果たしながらも、至高の真理を得ることができるとシュリー・ラーマクリシュナがおっしゃっていた、その至高の真理は、マヘンドラ氏の中に目に見えるかたちとなって芽を出し、花開き、実を結んだのであります」と言った。
欧米からさえも信奉者が彼の家に集まってきた。毎日毎日、毎月毎月、毎年毎年、ただ一つ、師シュリー・ラーマクリシュナの話だけを、彼らに話して聞かせたのである。マヘンドラはこう言うのが常だった。――「私は、取るに足らないものです。しかし、私は大海の岸辺に住んでいます。そして、私はわずかばかりの水差しに入れた海水を持っています。訪問者がやって来ると、その水を出してもてなすのです。あのお方の言葉以外の何を、私は話すことができるでしょう。」
慈愛に満ちた魂に触れるような態度で語られる言葉を聞くと、まるでマヘンドラ氏と共にラーマクリシュナのそばに座って、直接に会話しているような気になる。あたかも、彼が座ってタクルのことを話してくれるところと、タクルがリーラーをおこなった場面とを結ぶ橋が架かっているかのようだった。
ポール・プラントンは、マヘンドラに直接会った印象を、著書”Search in Secret India”の中に含めている。最初の出会いについて、彼はこう書いた――”神々しい長老が、聖書のページから抜け出してきたのだ。また、モーゼの時代の人の姿が、生きた人間になったのだ。”
スワミ・ヨーガーナンダが霊的生活に入った最初のころ、マヘンドラナートからかけがえのない霊感を得たが、そのことについて、彼は”あるヨギの自叙伝”という本の中で書き記した。