校長ことマヘンドラナート・グプタの略歴(4)
神の仕事について見ると、ナレンドラナートがタクルの仕事をするために生まれてきて、そしてまことに権威ある力が与えられたが、マヘンドラナートも、そのような父の神的財産をはく奪されることはなかった。彼もまた力を与えられて、確固とした信仰の持ち主になっていたのである。人々を向上させる仕事をできるようにさせるため、タクルはときどき彼を鍛えた。1883年12月14日から1884年1月半ばまで、彼は一か月間、ドッキネッショルに滞在して、タクルの庇護のもとに不断に修行した。タクルにしばしば会っているうちに、彼の心の扉が開かれて、次第に自我意識(増上慢)は破壊されていった。タクルはよくおっしゃった――『この人には慢心がない』と。
彼に我執高慢があったならば、彼は、自らの生涯において神の仕事をすることを、タクル・シュリー・ラーマクリシュナの話を人々に聞かせるというその仕事の委託を、タクルから得ることはできなかったに違いない。コタムリト5巻の中に、彼は自身をMという登場人物の中に隠しきって、シュリー・ラーマクリシュナを完全に表現した。彼は、多くの仮名を使っている――モニ、モヒニ・モハン、一人の信者、マスター、M、英国流の紳士……等々。著者としての個性を表現することもしていない。2、3の箇所で、自分の考えを控えめに書いているが、それもあくまでタクルの霊的状態に基礎を置いたうえでのことで、タクルの偉大さを称えるためにした努力に過ぎない。それらはすべて、奉仕者のけがれなき心の大空にある、シュリー・ラーマクリシュナ師の姿以外の何ものでもない。そのようにして彼は自分を完全に拭い去っているので、スワミ・ヴィヴェーカーナンダは福音書を読むとすぐに、読後感を1897年にこのように書き送った。――
「私は今、仲間の誰もが、なぜ彼(師)の生涯を書く試みをしなかったのかわかる。それは、あなたのために取っておかれたのです。この偉大な仕事は。ソクラテスの対話にはいつもプラトンが出てきます。でも、あなたは完全に自分を消していらっしゃる。」
ケシャブ・グプタ氏はこう書いている――「文学作品であろうとすることが抑えられているところに、『シュリー・シュリー・ラーマクリシュナ・コタムリト』の、真実を語るという力がある。夜咲く花がかぐわしい香りを放つように、自らを隠しきっているところにこそ、この宗教書の美しさがある。」