智慧と愛欲
自分自身の過去や、私が教えてきたいろいろな修行者を見て一つ言えること。それは、
「愛欲や性欲は、智慧を衰退させ、頭をおかしくする」
非常に智慧が高く、物事の本質を鋭く見抜く目を持っていた修行者が、愛欲・性欲にまみれたとたん、高度なダルマの話ができない、ただの普通の男になってしまった、という例を今まで多く見てきた。
あるいは、神にだけ心を向け、神聖な歓喜に満ちていた人が、愛欲・性欲にまみれたとたん、神は心から消え、口だけのものとなり、歓喜は消えて苦悩の中に落ちていったという例も多く見てきた。
そのような状態に落ちる時、自分がおかしくなっているということに、本人は気づかない。そこが恐ろしいところだね。気づかぬうちに目は曇り、頭は鈍り、世界の見え方は狭くなり、歓喜は徐々に苦悩に変わる。
このような法は、人間の世界で、このミクシイのような場所で説くことではないのかもしれない。愛欲・性欲というのは、人間にはある程度認められた煩悩だからね。
だからこの法が苦痛な人は、読まないでください。
しかし本格的な悟りや神との合一などの境地を本気で目指す人がもしいたら、愛欲・性欲は、人間が捨て、超えなければならない最も重要な要素であるということを知り、気をつけ、心を引き締めるべきだね。
もちろん、愛欲・性欲を逆に利用した、特殊なタントラの道もある。
しかしそれは高度な智慧と技術と、微妙な素質と条件を必要とする、一種の苦行だね。普通に愛欲にまみれた人が、遊び心でやるようなものじゃないんだ。