時の幻
過去は存在しない。終わったことだから。
未来は存在しない。まだ来ていないことだから。
今というのは存在しない。
仮に過去と未来が存在したとしても、今というのは、過去と未来の「分かれ目」に過ぎない。独立した「今」というのは、いったい、0コンマ何秒くらいのことをいうのか? 時が止まらない以上、「今」は存在せず、過去と未来があるだけである。
そしてそもそも過去と未来が存在しないのだから、過去や未来を前提とした「今」も存在しない。
つまり真実をつかむには、
時の流れを超える必要があるということだ。
時の流れを超えるというのは、
過去と未来を超えるということだ。
そして「過去」という妄想も
「未来」という妄想も
「記憶」という曖昧な情報から形成された、
心の習性が織りなす幻に過ぎない。
実は過去などなく、
未来もなく、
今さえもないのだ。
それら「時」という幻を超えた
不変にして至福なる唯一の実在があるだけだ。
とはいえ、それを悟り、
しかも日常においてその悟りをキープするのは、現実的にはなかなか難しい。
よってまず我々が為さなければならないことは、
「記憶」や「心の習性」の浄化である。
これらを、神聖にして至福なる、喜びと慈愛に満ちたものにそっくり入れ変えていくのだ。
エゴに基づいた心の習性を、根絶やしにするのだ。
これによってその人は、「時」の幻の中にいながらも、
幸せに満ちることになる。
そしてそれと共に、
時の幻を超えた、不変にして至福なる唯一の実在に対して
一心に心を集中するのだ。
しかし我々はまだ「それ」を知らない。
よって、「それ」が概念化された存在である「神」、
そして「それ」が現実化された存在である「師」、
これら絶対なるものに対して、ただただ心を集中するのだ。
自分のすべてを明け渡し、
観念も心の習性もすべて放棄し、
ただそれと一つになるように
愛し、信じ、奉仕し、近づき、触れ、溶け込むのだ。