慢心を超える
私のヨーガ教室のある生徒は、最近、「修行」が楽しくてしょうがないらしく、仕事がない日は一日10時間、仕事がある日も5時間以上を目標に修行しているらしい。もちろん、ここでいう修行とは、ヨーガのアーサナだけではなく、呼吸法、ムドラー、瞑想、五体投地、そして経典読誦なども含めたものである。
もちろんこうした形のある修行だけではなく、この人は、日々の生活の中で、さまざまな自己のウィークポイントと戦い、少しずつではあるが克服してきた。
当然、このような日々が続けば、精神的および神秘的なさまざまな修行経験は増し、心は晴れやかで明晰になり、智慧も増してくる。
しかしこのような修行の向上のときに常に注意しなければいけないのが「慢心」の罠である。
先日、この生徒さんの発言の中に、若干の慢心を感じた。
しかしそれはまだ微々たるものであって、わざわざそれを細かく注意して相手のやる気をそぐこともないだろうと思い、とりあえず放っておいた。
しかしたいしたもので、その直後、その生徒さんのほうから、「私は慢心してました」と、その微々たる慢心に自分で気づき、懺悔してきたのだ。
これは偉大なことだと思った。普通は、相当、日々向上心を持ち、自分の心の細かい汚れをチェックしようとしていないと、なかなかこういうことはできない。
なぜなら慢心こそは、最も自分では気づきにくい煩悩であるからだ。
慢心といっても、さまざまなタイプがある。
ナーガールジュナによる分類によると、次のような七種の慢があげられます。
1.三つの慢--※後述
2.本来は自己より優れている人と同等、もしくはより優れていると思うこと。
3.最高の存在よりも自分は優れていると思うこと。
4.五蘊は我であるという我執心。
5.修行の報いを本当は得ていないのに、得たと考えること。
6.悪業をなすことをたたえること。
7.自己は必要ない存在だと、自分自身を軽蔑・卑下すること。
さて、このように慢心といってもさまざまな方面のものがあり、これらをいちいち説明していたら長くなってしまうので、我々が実際に日々最も陥りやすい、いや、常に陥っているともいえる、一番目の「三つの慢」について少しここでは説明することにしましょう。
「三つの慢」とは、慢心を持つ人が、自分が置かれた状況において、三種類の反応を見せることを示しています。
まず自分が否定されたり傷つけられたりしたとき。あるいはプライドがつぶされたとき。あるいは自分より優れていると認めざるを得ない対象とであったとき。その人の慢心は「卑屈さ」という形を現します。
次に、自分と相手を比較し、「対等である」「どっこいどっこいである」と感じたとき、「闘争心」という形を現し、何とかして相手より優位に立とうという心が生まれます。
そして自分が相手より優れていると認識したとき、もろに「慢心」が出、すべてを上から見るようになるでしょう。
これらはすべて背景に「慢心(プライド)」があり、そして自分と他者を比較しようという心があります。そしてその比較による認識により、慢心が形を変えているに過ぎません。
まず私たちはこの比較という習癖をなくさなければいけないでしょう。
なぜなら、相手が仏陀ででもない限り、すべての人には、自分よりも優れた部分もあれば、劣った部分もあれば、同等の部分もあるでしょう。そもそも比較ということが不可能なのです。
比較が不可能な状態で、智慧のある者、あるいは慈悲のある者は、まず、あえて、自分と相手に最も利益のある「比較」をすべきです。
すなわち、相手の中に自分より優れた点を積極的に探し出し、そこで卑屈になるのではなく、それを謙虚に学ぼうという姿勢を持つべきです。
同等な部分を見つけたならば、ともにその部分において向上し合おうという気持ちを持つべきです。
そして相手の中に自分より劣った部分を見つけたならば・・・もしそれが自分が過去に乗り越えたものであるならば、相手も同様に乗り越えてほしいという慈悲を持つべきです。もしそれが自分の中に全くないように思える要素だとしたならば、将来、自分もそのような状況に陥る可能性があると考え、自己を律するべきです。
これらを心がけるならば、周りに自分と違うタイプの「比較する相手」がいるということは、慢心の生起につながらず、逆に魂の進化を大いに進める要素となるでしょう。
つまり皆さんの周りの人々は、慢心を呼び起こす魔ともなれば、魂を進化させる宝物ともなりうるわけです。皆さん自身の心がけ一つによって。
そしてこのようなことを積極的に行なっていると、そもそも自分と他者の比較そのものが意味がないということが実感的にわかってくるでしょう。
この世界の認識されるものはすべて自分の世界に過ぎないということがわかってくるからです。
つまり自分が他者と考えている存在も含めて、この世界全体を進化させ、幸福にしていかないと、何も解決しない、常に堂々巡りになるということがわかってくるからです。
うーん、いつものことながら、話が拡散してきましたのでこれくらいにしておきます(笑)。今回の日記にはさまざまなメッセージが含まれていますが、その中の一つでも二つでも皆さんに利益を与えられれば幸いです。
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