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心の力

 たとえ実際に行動に移さなくても、心において相手の不幸を願うならば、それは大変な悪業となる。

 それはちょうど、曼荼羅供養という儀式的なイメージ瞑想によっても、真に心を込めるならば実際に徳を積むことができるのと同じことである。心の力というのはそれほどに強く大きい。

 また、誰かに不幸が起こったときに、それを喜んだりした場合も、それは実際に自分が手を下して彼を不幸にしたと同じくらいの悪業となる。

 昔チベットに、お互いを批判しあっている仲の悪い二人のラマがいた。
 ある日、そのうちの一人が、嬉しそうに弟子を読んで、「お茶を淹れてくれ。今日は良い話を聞いた」と言った。
 弟子が「どんな話ですか?」と聞くと、ラマは言った。
「あのラマが、悪い女と結婚したそうだ。」

 つまり、自分がライバル視して憎んでいたラマが、結婚したということで皆からの評判は落ちるだろうし、しかも相手が性根の悪い女だということで、彼自身も将来苦しむだろう、それをこのラマは喜んだのだった。

 そしてそれを聞いた弟子も、
「ああ、それは喜ばしいことです。まるであなたが(将来ブッダになると確約される)授記を得たかのような喜びです」
と答えた。

 この話を伝え聞いた聖者パダンパ・サンギェーは、こう言った。
「(悪い女に引っかかって)結婚したラマよりも、この二人が積んだ悪業のほうが大きい。」

 すべては心、心がすべてである。よって、短い人生、細心の注意を払って心の浄化に励むべきであり、一瞬たりともけがれた思いやイメージを抱かないように細心の注意を払うべきである。

 そのような細心の注意こそが、真に利益のある「念正智」である。

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