師
いっそう心して師を求めなさい。師を恭敬し礼拝して、その言葉を疑うことなく、倦み疲れることなくありなさい。
もろもろの菩薩は師によって菩薩行を究めて、一切の菩薩の功徳、一切の菩薩の大願、一切の菩薩の善根を満たして、菩薩道の修行の助けとした。
もろもろの菩薩は師によってダルマの光明を生じ、菩薩の法門を浄める。
もろもろの菩薩は師によって功徳の法蔵を維持し、一切の菩薩の大慈大悲の力を持ち、衆生に利益を与える心を得、悪道から遠く離れて大乗に安住し、菩薩行を修して悪しき友を遠ざける。
もろもろの菩薩は師によって心退転せず、心に世間の惑乱なく、心に染著することなく、煩悩を殲滅し、もろもろの魔に悩まされることもない。
師は慈母である。道を求める者を如来の家に生まれさせるゆえに。
師は慈父である。道を求める者に無量の加護を与えるゆえに。
師は養育者である。道を求める者を守護して一切の悪行を止めるゆえに。
師は偉大な師である。道を求める者を教化して菩薩の戒を学ばせるゆえに。
師は導師である。道を求める者を彼岸に至る道に導くゆえに。
師は良医である。道を求める者の煩悩の病を治療するゆえに。
師はヒマーラヤである。道を求める者のために智慧の薬草を生じるゆえに。
師は勇将である。道を求める者を護衛して一切の恐怖を除くゆえに。
師は堅固な船である。道を求める者を乗せてことごとく生死の海を超えさせるゆえに。
師は船長である。道を求める者を全智のダルマの宝の島に渡らせるゆえに。
良家の子よ、師を求めなさい。
師に出会ったら、大地のようだと思いなさい。大地は万物を乗せてはぐくむゆえに。
師はヴァジュラのようだと思いなさい。堅固にして何にも壊されないゆえに。
師はヴァジュラの山のようだと思いなさい。一切の苦患を破壊するゆえに。
師に出会ったならば、自分を捨てて従い、自己に恃むことなく、善き弟子でありなさい。
師にお会いして、怠惰・慢心を破壊するしもべの心になりなさい。
師にお会いして、隊商を率いて宝の地に行く商主の心になりなさい。
師にお会いして、実りの時を知る作物の心になりなさい。
師にお会いして、俊足にして遠くまで走る駿馬の心になりなさい。
師にお会いして、もろもろの感覚を調伏する象の心になりなさい。
師にお会いして、嫌悪を離れた子犬の心になりなさい。
師にお会いして、悪しき風にも動じることがない山の心になりなさい。
師にお会いして、何にも執着せずに動く風の心になりなさい。
師にお会いして、虚勢を離れ、困難を打ち砕いて努力する心になりなさい。
師にお会いして、ブッダの教えへと渡る橋の心になりなさい。
師にお会いして、正しい道を見出したという思い、砂漠で涼地にたどりついたという思いを持ちなさい。
師にお会いして、修学の心、勇健の心を持ちなさい。
師にお会いして、これらの思いを持ち、素直な心で師を仰いで、その教えに随順しなさい。そうすれば善根は増大して、ヒマーラヤで薬草を得るがごとくである。そして大海をも飲み干すほどのブッダの器となるであろう。その心が清浄にして世間を超出することは大海にスメール山がそびえる如く、世間に染まらざること泥の中の蓮華のごとく、もろもろの悪に没せざること死体に大海がけがされぬごとく、叡智の光明は満月のごとく、あまねく法界を照らすことは太陽が輝くごとく、菩薩の身体をはぐくむことは母が子を養うごとくである。
師の教えに随順するなら、つまるところ、百千憶ナユタ(数え切れないほど膨大な数)の功徳を得て、百千憶ナユタの菩薩の潜在力を増大し、百千憶ナユタの菩薩の法門に入り、百千憶ナユタの菩薩の大願を成就するであろう。
菩薩の道を行く求道者はつまるところ、師によって、一切の菩薩行、一切のパーラミター、一切の菩薩のステージ、一切の菩薩の法忍、一切の菩薩のダーラニー、一切の菩薩のサマーディ、一切の菩薩の明智の自在、一切の菩薩の回向、一切の菩薩の大願を完成するであろう。
このような一切の法は、師を根本とし、師によって生じ、師によって取得され、師によって生起し、師によって増大し、師によって住され、師によって得られるのである。
(「徳生童子解脱法門」より)
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