叡智のランプ
神は、自分が自分の主人であると感じている者の心には容易に現われない。しかし彼の恩寵が下った瞬間に、神は見ることができるのだ。彼は叡智の太陽であられる。彼から発するたった一筋の光線が、全世界を智の光で照らしている。それだからわれわれはお互いに見ることもできるし、さまざまの知識を得ることもできるのだ。
われわれは、神が彼の光を彼自身のお顔にお向けになったときにはじめて、彼を見ることができるのである。
巡査部長は夜の暗闇の中を、手にランタンを提げて巡回する。誰も彼の顔は見ない。だがその光によって、巡査部長は他の人々の顔を見るし、他の人々も互いの顔を見ることができる。
しかし、もしお前が巡査部長の顔を見たいと思ったら、お前は彼に頼まなければならない、
「部長さん、どうぞ灯火をご自分の顔の方に向けてください。あなたのお顔を見せてください。」
と。同じように、人は神に、
「おお主よ、私にあなたのお顔を拝むことができますように、お慈悲を持って、叡智の光をあなたご自身の上にお向けください」
と祈らなければいけない。
家に灯火のないのは貧しい証拠だ。
だから人は、自分の心に叡智というランプをつけておかなければいけない。歌にあるだろう--
叡智というランプをお前の心という部屋につけ、
母、ブラフマンの権化のお顔を見よ。
--ラーマクリシュナ
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