yoga school kailas

勉強会講話より「聖者の生涯 ナーロー」⑦(3)

◎ヒル

【本文】

 ティローはまた一年間、黙って瞑想し続けました。ナーローはティローの周りを敬意を持って回り、教えを懇願しました。するとティローは、「ついて来い」と言って、歩き出しました。
 ヒルがたくさんいる沼のところに来ると、ティローは、「ここに橋をかける弟子がいたらなあ」と言いました。ナーローは橋を作り始めました。しかし足を滑らせて水の中に落ちてしまい、ヒルやその他の害虫に襲われ、血を大量に吸われてしまいました。
 ティローはまた神秘的な力で傷を癒すと、ナーローに、チャンダーリー・ヨーガの教えを伝授しました。

 はい。全くわけが分からないね(笑)。ただこのパターンとして、ある試練というよりも、さっきの「口の中にげんこつを入れたら」とかと同じで、命令というよりは、何気なく語るようなな感じで、で、それを本当に純粋な信を持ってナーローは実行するわけですね。で、それによって大変な目に遭うと。大変な目に遭った後に、ティローがそれを癒して、で、教えを与えると。このパターンがあります。
 で、このパターンの一つの説明をすると、つまりこれは、なんかすごいわけが分からない試練を与えられて、その後に教えを与えられると。これが一つのパターンなわけだけども、つまりそれによって教えの器を作ってるんだね。つまりもちろん最初から、例えばここだったら、「チャンダーリー・ヨーガを与えますよ」――これは簡単です。実際ここでやってる修行もこのチャンダーリー系の修行が多いし、それから実際本にもいっぱい出てるしね。例えばそれを普通に表面的に与えるのは簡単であると。まあもちろんナーローも知ってたかもしれない。もともとこのチャンダーリーの教えっていうのは有名だから。知ってたかもしれないが、本当にそれを注ぎ込まれる――つまり本当にそれが身になるようにするためには、前段階で――そうですね、ある言い方をすれば、ナーローのある部分をぶっ壊さなきゃいけないんだね。ぶっ壊さないと教えは入らない。そのぶっ壊し方を知ってるのが、偉大なグルなんだね。
 偉大なグルは、ある試練――試練といっても、実際には――ここではまさに試練って感じだけども――実際にはね、実際にそれが皆さんに起きるときには、それはもうちょっと分かりにくい試練の場合が多いと思います。分かりにくい試練っていうのは、こういう感じで「さあ、お前これやってこい」って言われて、「えー……できるのかな?」――そういう試練っていうよりは、さっき言ったこととも通じるけども、ジワジワといろんな方向から自分がだんだん追い込まれていって、試練に巻き込まれていくみたいなところがあるんだね。
 それに関してはね、師匠が意識的にやる場合があります。意識的にやる場合もあるけども、意識的でない場合もあります。つまり、わたしが例えば――M君に次の教えを与えたいけども、これを与えるにはM君のこのけがれをぶっ壊さなきゃいけない。よって――これは一つの例ですよ。一例としてね――ちょっとM君のプライドをズタズタにしなきゃいけないからと思って、みんなの前でM君を馬鹿にするとかね――これは仮の例ですよ――馬鹿にして、そこでM君が苦しんで、で、毎日馬鹿にされて、で、最初は苦しんだり、あるいはちょっと嫌悪したりいろいろするんだけど、それがあるときぶち切れて、何か崩壊したような感じになって、そこで「あ、じゃあこの教えね」ってくるときがある(笑)。これは意図的な場合ですね。
 で、意図的でない場合は、さっきから言ってるように、別に師匠は何も考えてないんだけど、もう自動的にその弟子の周りをそういう感じで神の意思によって、いろんな圧迫が始まって、もう心をぐちゃぐちゃにされて、で、それがある程度崩壊したときに、新たな教えが前に現われるとかね。このどちらかのパターンね。
 はい。これはだから一つのいい、素晴らしい例だね。特にこのカギュー派のマハームドラー系の修行者っていうのは、だいたいこういう道を辿ります。まあわたし自身もそうだね。わたし自身も実際誰か人間のグルにやられたっていうよりは、目に見えない力によって、いろんな試練っていうかな、追い込まれる状況が作られて、そこでグワーッてなんかある部分を、心を崩壊させられて、そのときにちょうどある教えに巡り合ったり、あるいは前から知ってた教えのもうちょっと深遠な部分を理解したりとかいう感じになるんだね。こういう追い込まれ方をすることが多い。これはマハームドラー系っていうか。だからマハームドラー系の縁がある人っていうのは、そういう修行人生を歩むかもしれないね。苦しんで崩壊させられて悟るみたいなね。
 はい。そういうパターンがあるわけですね。で、ちょっとここについて、一つの説になるけども、このね、十二の大きな試練――まあこれは四番目の試練ですけど――十二の試練の大まかな意味合いとして――これ、後の方で出てくるんですけど。一つの説としては、三身プラス一。三身プラス一っていうのは、日本語で言うと、法身・報身・変化身・本性身と。サンスクリット語で言うと、法身はダルマカーヤですね。報身、サンボーガカーヤ。変化身がニルマーナカーヤ。本性身がスワバーヴィカカーヤね。この四つ。実際よく仏陀の三身といって、法身・報身・変化身――法身っていうのは、仏陀の悟りそのものであると。報身っていうのは、その仏陀が救済のために――法身っていうのはなんの形もないから、一応身体っていう言葉ついてるけど、実際にはなんの形もない悟りのことをいってるだけだから。報身っていうのは形を持って、高い世界――例えばシヴァ神のような、あるいはもちろん大日如来とか阿弥陀如来のような感じで形を持って、われわれを救うために高い世界に現われた存在ですね。で、変化身っていうのは、その高い存在では実際には示唆は送れるけど、物理的に接触はできないので、われわれと同じような体を持っていろんな世界に生まれてね、お釈迦様みたいな感じでみんなを救う存在を変化身っていうんですね。で、完全な仏陀になると、この法身・報身・変化身の三つを持ちますよと。
 で、もう一つ、これに加えて本性身っていうのをいわれるときがあるわけだね。この本性身の解釈は非常に難しいんだけど、一つは簡単に言うと、この三つの不可分性。この三つが実は一つなんですよ――という身体と。分かりにくいけどね(笑)。これ、なんで分かりにくいのかっていうと、これだけじゃないんだけど、この仏陀の身体の考え方、あるいはこういった高度な仏教とかヨーガの教えっていうのは、実際にはわれわれが頭で考えてるような、例えば三次元的なものであったり、あるいは時間――過去・現在・未来の時間的なもの――つまり一般的にわれわれが認識する時間や空間に制約される世界のことではないんだね、ちょっとね。だから、三次元のものを二次元にして説明すると分かりにくいみたいに、われわれの思考の限界にそれを当てはめて説明しようとすると非常に分かりにくいっていうか、説明不可能になってしまう。
 でもあえて言いますよ、あえて言うっていうのは、これは観念化しないでくださいね。一応一つの言い方をして言いますけども、その法身・報身・変化身、この三つをすべて情報として含んでいる、そのさらに大元の存在が本性身といってもいいかもしれない。これは一つの説明です。観念的にそういうふうには考えない、絶対的にそうなんだって思わないでほしいんだけど。でもそういうふうにも説明できるっていうことですね。
 はい、その四つの身体があって、その一つ一つの身体を得るための修行として、この十二の試練ね――つまり三つかける四で十二の試練があったっていう説が、この話の後に書かれています。
 つまりこれはですね、ある言い方をすればですよ、皆さんは「修行の目的ってなんだろうか?」ってこう考えることがあるかもしれない。修行の目的っていうのはつまり最終目標ね。それはニルヴァーナに入ることだろうか?――ニルヴァーナっていうのは単なる小乗仏教というか、個人的修行の目標に過ぎない。もちろん菩薩の最終目的はすべての衆生を解脱させると。これが最終目的なわけだけど、でもそれは行為における目的だよね?――じゃなくて自分の状態における、段階における目的は何だと。例えばクンダリニーが覚醒した?――そんなのはもう本当にスタート、もうスタート前です、それは(笑)。クンダリニー覚醒したっていうのは、マラソン大会に出る前に靴履いたみたいなもんです(笑)。

(一同笑)

 ね(笑)。靴履いただけで「やったー!」とか言ってたら、ちょっと馬鹿だよね(笑)?

(一同笑)

 あるいは、「おれは靴が履けるだろうか?」とか言って(笑)、それはちょっとあまりにもレベルが低い。クンダリニーなんていうのは、まさに靴履いたぐらいの世界です。で、実際にクンダリニーが覚醒し云々、ね。背中をクンダリニーが昇ったと。あるいは頭に到達したと。それはもちろん相対的にすごいことだけども、でも全体からいったらまだまだスタートラインに立ったぐらいに過ぎない。で、もちろんその先にニルヴァーナへの到達とかいろいろあるわけだけど。その個人――個人っていうか自分の中での経験における目的は何だって言った場合、密教においてそれを言うならば――これは密教だけじゃなくて、実際にはみんなそうなんだけど――この三身を得ることなんだね。で、本性身っていうのは、実際その三身に含まれるので、三つだけを言う場合もあるし、一つ別に言って四つと言う場合もあるわけだけど。まあ簡単に言うとこの三つ――法身・報身・変化身を完成させることが、密教行者の目的であり、同時に最高の修行の目的と言ってもいいのかもしれない。
 つまり完全なる――ここでいうダルマカーヤっていうのは、完全なる悟りだね。ちょっと中途半端なニルヴァーナとかじゃなくて、完全に宇宙の本性を悟ったっていう状態ね。それから完全なその現われとして――つまりわれわれ自体が、例えばシヴァのように、あるいは大日如来のように、そのような形で高い世界において、多くの救済者たちに指示を送るような存在に、われわれ自身がなると。さらに同時に、われわれ自身が分身をたくさん出して――無数の分身ね。これはもう完全に無数です。無数っていうのはね、これは『覚醒の虹の宝飾』とか見ると分かるけど、例えば菩薩の第何段階とか書いてあってね、この段階の菩薩は――まだ菩薩なんですよ。まだ菩薩なんだけど、数億の変化身を出しますとか書いてあって(笑)。で、だんだん上がっていくんだね。十億とか百億とか上がっていって、で、最後の方になると、数えきれませんとか書いてあって(笑)。つまり数字では表わせないぐらいの変化身を、どんどん出すようになるんだね。それをいろんな世界に飛ばして、つまり化身ね。ヒンドゥー教的にいうとアヴァターね、アヴァターラですけども、仏教的にいうとニルマーナカーヤ。ね。仏陀の化身を出して、いろんな役割によってみんなを救うと。
 いろんな役割っていうのは、分かりやすく修行の師匠として登場するときもあるけども、全然違う形の場合もあるんですね。その辺の普通の人の一人として登場してるかもしれない。しかしその人との関係において、なぜかみんなが修行が進むとかね。そういう人いるでしょ? その人、変化身かもしれないよ、もしかしたら(笑)。別にその人は修行してるわけじゃないし、なんか嫌な奴だったりするんだけど(笑)、でもみんなその人との交わりにおいてね、なんか修行の道に入っていくとか(笑)、そういう人がもしいるとしたら、もしかすると変化身かもしれない。
 で、面白いのは、仮にその人が変化身だとしても、気づいてない場合の方が多いです。気づいてないっていうよりも、自覚がないっていうかな、そういう場合もある。まあそういった変化身を完成させると。
 この三身の完成が、われわれの完全な、個人的な最終目標ですね。

◎螺旋状に進む修行

 で、このナーローは――もちろんナーローはここまでくるまでに――ここまでくるまでにっていうのも変だけど、もうかなりの段階には達してるわけですね。その最後の仕上げみたいな感じで、この三つの身体を完成させるための試練を受けたんだっていうのが一つの説です。
 で、また別の説があります。別の説っていうよりも、それはどっちが正しいっていってるんじゃなくて、重複してるんだね。重複してまた別系統の説でいうと――いいですか?――この間までやった三つの試練。一つは高いところから飛び降りさせられる。それから二つ目が火に飛び込まされる。で、三つ目が、ティローのために食べ物を取ってくるんだけど、結果的に体をボロボロにされると。で、これが地元素の崩壊。別の言い方をすれば、ムーラーダーラ・チャクラ。ムーラーダーラ・チャクラ及び五大元素における地元素の完全崩壊の試練だったともいわれています。
 「なぜなんだ」って言われると困るんだけど(笑)、でもそうなんだと。でも曖昧に言うと、肉体的苦痛ね。地元素って肉体だから、肉体的な試練によって――でもだからといって皆さんが肉体的苦痛を経験したから地元素が崩壊するわけじゃないよ。そこら辺が非常に分かりにくいところなんだけど。だからこれはあくまでも、非常に高度なナーローのパターンだと思ってください。まず第一段階において、地元素の完全崩壊をしたと。で、ここでいう地元素の崩壊とか、ムーラーダーラ・チャクラの浄化っていうのは、分かると思うけども、われわれのいってるレベルとは全く違います。つまりこれはいつも言うように、螺旋階段の教えを最近わたしよく言ってるけど――つまり、修行っていうのは螺旋階段のようなもので、例えばムーラーダーラ・チャクラの経験といってもレベルがいくつもあるんですね。
 例えばですよ、ナーローが「今、ムーラーダーラ・チャクラを浄化してる」とか言っててね、例えばK君が、「まだムーラーダーラか!」って言っても(笑)、つまりK君が例えば一年前にムーラーダーラの経験をしていたとしてもですよ、一年前にK君がしたムーラーダーラと、今ナーローがしてるムーラーダーラは、もう天と地ほど違うわけだね(笑)。

(K)同じかもしれない。

 違う(笑)。

(一同笑)

 もう見えないほど遠いわけだね。だからそういう感じでグルグルグルグル――これはさ、よくここで言ってる悦・喜・軽安・楽とかもそうだよね。例えばカイラスの人っていうのはやっぱりバクティヨーガ系の人も多いし、それからこれはわたしのカルマでもあると思うけど、わたしの個人的修行の傾向としては、バクティヨーガ、それから六ヨーガ的なね、つまりチャンダーリー的な熱とか歓喜のヨーガですね、その傾向が強いわけだけど。カイラスの人も結構そういうのが強い人が多いと。だからよく歓喜状態の経験とか、あるいはエネルギーが上がる経験とかをする人がいるわけですけども。例えばそのよくいう悦・喜・軽安とかの、その悦の体験として、体がガーッと気持ち良くなると。あるいは甘露の体験として、なんか頭がひんやりするとかね。あるいはこの辺が気持ち良くなるっていう人をちらほらと聞くわけだけども、「じゃあそれは本当の悦なのか?」あるいは「本当の甘露なのか?」っていうと、本当なんです。本当なんだが、レベルがあるんだね。つまりその人はおそらく、それは正しいんだが、その人がもっと頑張って修行すれば、一年後や二年後にはもっと大きな悦、もっと大きな甘露を経験します。
 つまり一、二、三、四って段階があるとして、一、二、三を完全にクリアしなきゃ四に行けないわけじゃないんです。つまり、一、三十パー、二、三十パー、三、三十パーで、四、三十パーを達成可能なんです。でも三十パーなんだね。じゃあ、もうちょっと上げましょうか。じゃあ次、一を五十パーまで上げましょう。二も五十パー――つまりこういう感じでまた一から始める場合がある。でもここでいう一っていうのは、前の一とは比べものにならないほどレベルが高いっていうか、完成に近づいてるんですね。こういう感じで進んでいく。
 だから皆さんも最初の段階では非常に表面的な形で――はい、今ムーラーダーラだと。例えば最近ちょっと怒りっぽいと。エネルギーが増して怒りっぽくなっちゃったと。ああ、それはきっと修行でクンダリニーによってね、ムーラーダーラが活性化してきたんですねと。「先生、最近はもう怒りはなくなりましたけど、もう性欲がすごい」と。「すごい元気なんだけど、なんかちょっと性欲に悩まされる」と。「ああ、それはもうスワーディシュターナ活性化してきましたね」と。「最近それはなくなったんですけど、たくさん食べてしまいます」と。「ああ、マニプーラですね」と。「順調に進んでますね」と。ね(笑)。あるいは、例えばAさんとかみたいに、「ムドラーすると胸がウーッと痛い」と(笑)。

(一同笑)

 「あ、胸まできましたか」と。ね。「いいですね」と。あるいは、Sさんとかそうだったかな――わたしもそうだけど――ムドラーすると咳ばっかりすると。あるいは喉にくると。なんかすぐエネルギーが詰まると喉にくると。「あ、今喉の浄化してますね」と。例えばこういう感じで進んでいって、「おお! おれはもうヴィシュッダも越えたのか!」と。「修行は終わったも同然だ!」――確かにそうなんだが、まだ非常に表面のナーディ、あるいは表面の浄化のプロセスを、そこまでいったに過ぎないんだね。「はい、じゃあもうちょっと本格的にいきますよ」と。で、またムーラーダーラの違う経験が始まります。今度は怒りとか出ないかもしれない。でもムーラーダーラがあらわす、また別のプロセスを辿らなきゃいけない。もうちょっと深い意味でね。これを何度も何度も繰り返すんですね。
 だからもう一回言うけども、ここでいってるナーローの地元素の浄化とかムーラーダーラの浄化とか崩壊っていうのは、最後の最後の段階っていうことですね。それがこの間までの話で、このヒルの話っていうのは、今度は水元素の浄化に関わる――つまりスワーディシュターナ・チャクラの浄化に関わる話ともいわれています。だから論理的にはよく分かんないんだけど、でもね、なんとなくリンクはするんだね。つまりこれ、水の話だから。
 つまりヒルが――ヒルってみんな知ってるよね? なんかこの間、何人かで話したら、ヒルを知らない人いたんだけど。わたしは田舎だったんで、よく沼とか池とかで遊んでるとヒルがいるんだね。ちっちゃいこういう、ちっちゃいなめくじみたいなのが手とかについてくるんだね。で、それで血を吸ったりするんだけど。インドの医学とかでは悪い血を出すためにわざとヒルで血を吸わせたりっていう療法もあるわけだけど。その血を吸うヒルがいっぱいいるところがあって、そこで師匠の言った通りにやったら、ヒルその他の害虫に襲われて、体中の血を大量に吸われたと。ね。で、ちょっとここで書いてないけども、血を吸われて、そこに水が入ってきたっていわれてる――水が入ってきたっていうのは、体の中にいっぱい穴を開けられて――まあ実際血管に水が入ったら死んじゃうけども――体中に水がどんどん入ってきて、どんどん血がなくなってね、体が冷え切っていったと。これがまあ一つの水元素のリンクする経験ではあるね。それが論理的にどうかっていうのは説明できないわけだけど、でもまあ水元素の浄化及び崩壊の経験をこれによって――何度も言うけど最終的なね、最も高度な段階のその経験をティローがナーローにさせたっていわれてます。
 で、その経験の後に、チャンダーリーのヨーガを与えたわけですね。チャンダーリーのヨーガについては、これはここで出してる『ナーローの六ヨーガ』の本をしっかり読んでもらえばいいと思うし、あるいは大体ここでやってるようなムドラーなり、例えばエネルギーを回す瞑想なり、ああいうのがチャンダーリー系のヨーガですね。あるいはクンダリニーヨーガ――本当の意味でのクンダリニーヨーガね。最近流行ってるクンダリニーヨーガじゃなくて、本当の意味でのクンダリニーヨーガっていうのは、まさにこのチャンダーリー・ヨーガと全く同じです。あるいは仙道における――これも本当の意味での仙道ね。仙道って二つあってさ、いわゆる不老長寿とか健康のための仙道と、それから仙人を目指す仙道があるわけだけど、この仙人を目指す仙道も、同じチャンダーリー・ヨーガ系です。つまり生命力を覚醒させ、それを体中に回し、甘露を落とし云々っていう道があるわけですね。これはここで出してる『クンダリニーヨーガ』とかの本とかにもしっかり書かれてるけども、そのヨーガね。そのヨーガをしっかりと教えたっていうところですね。

 はい。ここまで何か質問その他ありますか?

(S)すいません。あの、前回来てなかったんですけど、飛び降りたのが地の浄化で、火に飛び込んだのが火の……?

 いや、火に飛び込んだのも地の浄化です。

(S)ボコボコにされたのは?

 ――それも地の浄化です(笑)。

(S)あ、はい。

 これはあくまでも説だけどね。この三つが地の浄化で――まあ地及びムーラーダーラといってもいいね。今回のヒルが水及びスワーディシュターナですね。はい。

(S)ありがとうございます。

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