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勉強会より 「聖者の生涯 ナーロー」⑥(2)

◎決意、熱意、覚悟、求道心

【本文】

 ここに来てナーローは、今生はもう自分はティローに会うことはできないのではないかという絶望に陥り、それならば死んだ方がましだと、自殺することを決意しました。そして刃物をとり、自らの喉をかき切ろうとしたとき――色黒で、目が血走った男が現われました。彼こそがグル・ティローでした。ナーローは彼にすがり、なぜ今まで、姿を現してくださらなかったのか、と言いました。ティローパは答えました。

「お前がグロテスクな病気の女に出会ったときから、我々は離れ離れになったことはない。お前が経験したさまざまなヴィジョンは、お前の邪悪なカルマの現われである。だからお前は私を認識できなかったのだ。」

 こうしてティローは、ナーローを正式に弟子として受け入れたのでした。

 これもね、何度か話してる話ですけどね、もうさまざまな試練、その中で失敗を重ね、本当にティローになかなか会えなかったナーローは、もう自分は不可能ではないかと、自分の知性とか自分のカルマでは今生、自分に真の悟りを明かしてくれるグル・ティローに会うことは不可能ではないかという絶望に陥った。そこで、自殺を決意した。ここでみなさんは、「え? そこまでしなくてもいいんじゃない?」って考えるかもしれない。でも逆に言うと、それだけ真剣なんです。つまり「それならばもうわたしには死しかない」ぐらいの、つまりもうそれしかナーローにとっては生きる意味がないっていうかな。つまり、真の悟りにわたしを導いてくれるグルと出会えないのならば、わたしには何の生きる意味合いもない、ぐらいの真剣さがある。
 現代的なちょっと合理的な頭を持った人は、ここまで真剣になれない。そうでしょ? 例えば「ちょっと無理かな。見つからないか」と。「じゃあまた大学戻ろうか」とか(笑)、そういう軽い感じだと思うんだね。もちろんさ、修行以外のことははっきり言うと、どうでもいいっちゃあどうでもいいんだけど、修行以外の一般的なことでもそうでしょ? 例えばスポーツ選手になりたいとか、この道を成功したいと思って、でもなれなかったらやっぱり諦めたり、他の道を探したりする。それはまあ一般的なのはそれでもいいんだけども、そういうなんていうかな、ちょっと覚悟の足りなさっていうか、決意の弱さみたいなのがやっぱり――まあわたしも自分のこと振り返って反省点だけども――そういう決意の弱さっていうのが現代人にはやっぱりあると思うね。それは、現代人というか現代日本人というかな。ちょっとわたしがこんなこと言うと「お前誰なんだ」って感じになるけど(笑)、現代人はちょっと軟弱だよね(笑)。

(一同笑)

 お前は何なんだっていわれそうだけど(笑)――わたしよくここで「現代人は……」とか言うけど(笑)、お前は現代人じゃないのかっていう気が自分でするときあるんだけど(笑)――でもまあ、自分のことを棚にあげて言うと、現代人は軟弱かなっていう気がする。それは小さい頃からの育てられ方や、あるいはいろんなね、漫画とかテレビとかの情報とかも含めて、ちょっと覚悟が足りない生き方をしているっていうか。
 人によると思いますよ。小さい頃から非常に厳しい環境で生きてきて、本当に強い覚悟や決意を持って生きてきたっていう人もいるかもしれない。それは逆に言うと、とても幸せな人だね。そういう強い心を持てたっていうのはね。でも多くの人は、そうじゃない。逆にいうと、生ぬるく生きることができる環境――それは言ってみれば、いつも言うように、ちょっと天界のカルマがあるんだけど。天界のカルマによってちょっとこう自分の、ある程度の徳の現われに溺れてしまっているっていうか。だから現代人がとても必要なのは、決意とか覚悟というのはあると思うね。
 これはナーローだけではなくて、例えばミラレーパとかもそうだし、あとお釈迦様の弟子でもそういう人がいたわけだけど。悟れないが故に自殺しようとする人とかね。そういうやっぱり強い思いね。ラーマクリシュナもそうだね。ラーマクリシュナも母なるカーリーをなかなか悟れなかったので、「もう生きてる意味はない」って言って最後に自殺しようとしたら、カーリーが現われたっていう逸話があるね。それはもちろんパフォーマンスではない。パフォーマンスとしてやるんではなくて、本当に心からの思い――逆に言うと、自殺しようとしたから、そろそろグルが「そろそろ現われてやるか」っていうんじゃないんですよ。つまりそれくらい、「もう私には死かグルか、それぐらいなんだ」っていう気持ちに、本当の意味で求道心が高まったときに、やっとグルが現われることができる環境が整うっていうかね。そういうことだね。だからそういう意味ではここで大事なのは、決意、そして強烈な求道心だね。
 何度かこの話はしてるけどね。ラーマクリシュナの言葉を借りるならば――ラーマクリシュナは熱意って言葉を使ってるけど――もっともまず大事なのは、熱意であると。熱意っていうのはつまり、ラーマクリシュナの言い方で言うと、神への熱意だね。わたしは神とお会いしたいという熱意。これが大事だと。で、この熱意は、暁の空のようなものだと。つまり、暁がくればもう太陽が出るのは決まったようなものであると。つまりその人に強烈な熱意が備わったならば、神と会えるのはもう完全に決まっていると。だから求道心、熱意、決意ね。
 あるいはお釈迦様は欲如意足という言葉を使ってますけど、欲如意足っていうのは、欲っていうのはいい意味での欲ね。強い欲求。悟りとか自分の修行を進めることに対する、すごい欲求ね。これが実はものすごく大事なんですね。

◎種明かし

 はい。で、ナーローが死を考えるほどまでに心が高まって、で、ティローが現われたと。ここでついにティローが種明かしをするわけですね。これは前から言ってきたことですけども、「グロテスクな病気の女」、つまりこれはナーローが旅をし始めて、最初に出会ったヴィジョンね。これが「グロテスクな病気の女」だったんだけど。そのときからわたしは、実はお前と離れていなんですよと。つまり、お前の心のけがれがゆえにわたしを認識できなかったと。これはみなさんピンと来るよね。アサンガとマイトレーヤの話に似てるね。これはちょっと話長くなるから今言わないけど、この「聖者の生涯」の前の方でやった、アサンガがマイトレーヤ・弥勒菩薩を瞑想してたけど、全然現われなくて、でも最後に現われたわけだけど。でもそれは、実際はずっと弥勒菩薩はそばにいてね、しかしアサンガの目が曇っていたがためにそれを認識できなかったと。
 で、これは細かい話もいっぱいあって、「嘘だと思うなら」ってマイトレーヤが言ってね、「ほらっ」て言ってマイトレーヤが着てた服を見せたんだね。そうしたらそこに唾がいっぱい付いてたんだって。「お前がおれを認識しないで唾ばっか吐くから、痰とか溜まったときに唾吐くから、全部ここにかかってる」って(笑)。「お前なんでおれが見えなかったんだ!」っていうことをマイトレーヤが言ったって話もあるんだけど(笑)。

(一同笑)

 すごく面白いよね。まあそれは別として、そういう感じでこのグル・ティローも、実はずっとそばにいたわけだけど――言ってみれば、これはグル・ティローの仕掛けと言ってもいい。ナーローのカルマをもうちょっと浄化するために、あるいは自分の悪業を認識させ、そこから脱却させるために、さまざまな幻を見せて、それにはまり続けたっていうかな、ナーローは。で、それを全部乗り越えて浄化され、かつ自分の熱意が高まり――ちょっと細かいことはずーっと前回まで言ってきたので、大雑把に言うと、一つのナーローが持っていた大いなる引っ掛かりは、恐らくプライドだと思います。プライド。つまり、このダーキニーが現われるまでは、はっきり言うとナーローっていうのは――小さい頃からナーローは仏教に親しんで勉強して修行して、で、ある意味頂点に登りつめたんです。インド仏教界の頂点。もう瞑想においても学問においてもナーローにかなうものはいないっていわれるぐらいに、頂点に登りつめた。でもそこでダーキニーの示唆によって、それをあっさりと捨てて旅に出るわけだけど、しかしあっさり捨てたとはいえ、やっぱり残っているんだね。それはなんていうかな、あっさり捨てるっていうのはさ、例えばT君とかもよくいろんなものあっさり捨てるけど(笑)、結構簡単なんです、あっさり捨てるのは。表面上あっさり捨てるのはね。例えばみんなも、多分できるかもしれないよ。例えばH君が、東大のインド哲学の中村元さんみたいなね、最高の教授として、もう仏教学においては日本ではH君以上の者はいないとかいわれる者になったとするよ。その段階で例えば、「真の悟りを得るにはその座を捨てなさい」と言われたとして、ちょっと悩むかもしれないけど、でも多分捨てられると思うんです。「分かりました。捨てます」と。何でかっていうと、かっこいいから(笑)。ね。かっこいいじゃん、その方が(笑)。「えっ!? あんな地位捨てたんだ」と。かっこいいし、まあいろんな失うものはあるけども――それはちょうどね、川に飛び込むようなものだから。エイッと。例えばこの後も出てくるけど、崖から飛び降りろって例えばグルに言われたら、もちろん飛び込めない人が多いと思うけども、でも一部の、結構何割かの人は多分飛び込めると思います。もしね、自分の師匠に飛び込めって言われたら。何でかっていうと、一瞬だから。一瞬思い切ればいいから。一瞬思い切れば、エイッていけるわけです。それは学長の座を捨てるのも同じね。もちろんそれは素晴らしいことだけども、でもまあ一瞬なんだね。
 でもナーローが恐らく培ってしまった、徳があるがゆえの、智慧があるがゆえの要らぬプライドであるとか。あるいは自分の概念的理解に対する執着とか。あるいは教えに対する執着とか、そういう最後の最後のカスみたいなのは、いっぱいまだあったわけだね。だから恐らくそういったものをティローがね、本格的に弟子入りさせる前に、そういったいろんな幻影を見せてね、落としていったんじゃないかと思います。
 はい。で、ここでついにティローが正式にナーローを弟子として受け入れて、また今度は、弟子として受け入れてからの試練が始まるわけだね。

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