余談
学ぶ教えや経典は、少なめにしなさい。
そしてそれらに関しては、完全に信じなさい。
完全に受け入れなさい。
利己的知性やエゴのいいわけを介在させるな。
しかし同時に、真実は言葉も概念も超えているということを、忘れないようにしなさい。
もしこの人生が君の考えているようなものならば
生きている価値はない。
死んで終わりなら、なぜ生まれたのか。
解脱して終わりなら、なぜ輪廻に落ちたのか。
真実には、何も終わることはなく、
始まってもいない。
しかし、始まっていないわけでもない。
真実には道もないが、
真実の道を行かねばならぬ。
バクティ、信愛の道が最もお勧めだ。
君の愛する神仏を、すべてをかけて愛し、従うのだ。
始まりも終わりもなく、進化の過程もない。
ならばそれは道といえるのか?
それでも修行者は、道を行くのだ。
道、真実、教え、師、神、
それらが、真実に到達する幻影。
幻影の中でも最高の幻影だからだ。
煩悩は心を曇らせる。
とらわれは、大切なことをわからなくさせる。
怒り・嫌悪は、一切の真実を忘れさせる。
だからそんなものは捨てて、
目を開けてみよう。
世界は文字通り無限だ。
こちらに、捨てるべき輪廻はなく、
あちらに、到達すべきニルヴァーナもない。
しかし、何もないわけでもない。
言葉に取り込まれるな。
いつの間にか真実を見失うな。
悪魔の罠に気をつけろ。
心を内に向けなさい。
それは真の意味で外に向けるということでもある。
非現実的な、あなたのいうところの現実を見過ぎるなということだ。
さて、余談はこの辺にして、
今日もまた、修行し、教学し、懺悔し、念正智し、瞑想しよう。
菩薩として、神の道具として生きよう。