一味
現象を良し悪しに分けることなく、ダルマターたる本来の境地にとどまること、それが「一味」の意味である。なんであれ、概念化しない。そうすれば、すべての現象は明智と分けることのできないその表現としてあらわれてくる。それによって、迷妄の煩悩は浄化され、無分別の智慧となる。かくして、明智の境地にとどまり続ける。
明智の境地に、迷妄の煩悩が生じてきても、それを分別することなく、あるがままに放置する。そうして無分別にとどまり続ければ、一切の現象は、存在の本質(ダルマター)である真如としてあらわれてくる。原初の智慧は、空であると同時に自然状態で完成しているエネルギーでもあるから、ダルマターたる真如として顕現するということができる。
――ナムカイ・ノルブ
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