ヨーギーの喜びの歌
ミラレーパの十万歌
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ヨーギーの喜びの歌
すべてのグル方に礼拝いたします。
ヨーガの師、ジェツン・ミラレーパは、グルの命に従って、ジュンパンから雪のユールモ山脈に行き、そこでシンガリンの森の中にある、センゲ・ツォンの虎の洞窟に住みました。優雅な姿をしたユールモの地の女神が、ジェツンの命令に従って、心をこめて奉仕を行ないました。ミラレーパは、深く霊感が呼び覚まされた心持ちで、しばらくの間そこにとどまりました。
ある日、五人の女性の若い出家修行者が、彼を訪ねてムーンからやってきて、こう言いました。
「この場所は恐怖に満ちていて、瞑想の熟達を得るのに叶ったところだと聞いております。それは本当でしょうか。そうお思いになられましたか?」
そこでミラレーパは、この場所を讃えて歌いました。
グルに礼拝いたします。
私は、偉大なる功徳を積むことにより、御身と出会い
そして今、あなたが予言された地にとどまっています。
ここは喜びにあふれる、丘と森の地
山の草原には花が咲き、森では揺れる木々が踊る。
猿にはここはかっこうの遊び場。
鳥は豊かな旋律でさえずり、蜂はぶんぶん飛び交い、
そして日が暮れるまで、虹が現われては消えていく。
夏と冬にはさわやかな雨が降り、春と秋には霞と霧が巻き上がる。
このような楽しい地に、人里離れてただ一人で
照らし出す空の心について瞑想しながら
わたし、ミラレーパは、満ち足りて暮らす。
無数の顕現は、幸せである。
浮き沈みが多いほど、喜びも多くなる。
栄枯盛衰が多いほど、私はますます喜びを感じる。
罪深いカルマのない身体は、幸せである。
無数の混乱は、まことに幸せである。
恐怖が大きければ大きいほど、私はますます大きな喜びを感じる。
ああ、感覚と激情の死は、幸せである。
苦悩と情熱が大きいほど、
さらに快活で陽気になれる。
何という喜び、不調もわずらいもないことは。
何という喜び、喜びと苦しみは一つであると感じるのは。
何という喜び、ヨーガによってわき起こった力で
軽快に体を動かすことは。
跳ねたり、走ったり、踊ったりするのは、なお楽しい。
何という喜び、勝利の歌を歌うことは。
何という喜び、歌を口ずさむのは。
普遍の境地に満たされた
力強く、確信ある心は幸せだ。
無上の幸せは
力が自然にわき出ること
無数の形象、無数の啓示は心楽しい。
信篤き弟子たちへの歓待の贈り物にと
私はヨーギーの喜びを歌う。
そこで早速ミラレーパは、五人の若い新参の女性の出家修行者にイニシエーションを授け、口頭の教えを与えました。しばらくこれらの教えを実践すると、彼女たちの心に、内なる悟りの光が生まれました。大喜びしたミラレーパは、「教えの甘露」を歌いました。
ああ、グルよ
解放への誤りなき道を示してくださる、完全なる救済者
大慈悲者よ
どうか決して私をお見捨てにならず
永久に、私の頭上に
冠の飾りのように、とどまりたまえ。
聴け、ダルマに従う者
ここにお座りの瞑想者たちよ。
ブッダの教えは数限りないが
この深遠な道を実践できるものは
真に恵まれた者。
一生でブッダになりたいなら
現世のものを追い求めてはならない。
己の欲求を強めてはならぬ。
さもなくば、善と悪の間で混乱し
悲哀の世界に落ちることになるだろう。
グルに仕えるときは
「働くのは私、楽しむのは彼」
というような考えをやめよ。
このような感情をもてば
必ずや争いと不和が生じる。
決して望みは満たされない。
タントラの戒を守るなら
堕落した者とつきあうのをやめることだ。
さもなくば悪の影響でけがされてしまい
戒を破る危険にさらされよう。
学問を教わったりするときは
誉れの言葉に執着してはいけない。
さもなくば眠っている五つの
毒を持った煩悩の炎が燃えたち
功徳や徳行は焼き尽くされてしまうだろう。
仲間と一緒にリトリートで瞑想するときは
多くのことを行じすぎてはいけない。
さもなくば善行はやみ
修行は乱されよう。
囁きの相承の形ある道を修めるときは
他のために悪魔ばらいをしたり、幽霊を呪ってはいけない。
さもなくば、悪魔が自分の心の中にあらわれ
現世的な目的を求める気持ちが燃え上がるだろう。
経験と悟りを得ても、奇跡の力を誇示したり、予言をしてはいけない。
さもなくば、秘密の言葉や象徴が漏れ出て
功徳と精神的洞察が減少してしまうであろう。
これらの落とし穴を用心して避けるようにしなさい。
悪業を犯さず、だまし取った食べ物を食べず、
死者の供物をとらず、
人を喜ばせるために、甘い言葉を述べ立ててはいけない。
つつましく謙虚であれ。そうすれば自分の道が見つかるだろう。
女性の出家修行者たちはミラレーパに、自分自身の道はどうやったら見つかるのかと尋ね、更なる教えを懇願しました。答えてミラレーパは歌いました。
わがグル、慈悲者に敬意を払います。
どうか御身の慈悲の波をお与えください。
願わくば行者の私に、快く瞑想させたまえ。
あなた方、新しい世代の子供たちは
欺きに満ちたカルマがはびこる町に住んでいるが
ダルマの輪はいまだ切れていない。
あなた方はブッダの教えを聞いたが故に
こうして私のもとへやってきて、迷いの道を避けたのだ。
常に功徳を積みつづける行によって
帰依の素質が育つ。
やがてそれによって祝福の波があなた方に入り
類似と真の悟りが育つ。
しかしあなた方がたとえこれらのすべてを行なったとしても
完全に習得することがなければ、
ほとんど役には立たない。
あなた方を気の毒に思い、私は今、この教えを授けよう。
よく聴け、若き友たちよ。
ひとりでひっそりと住む時は、町の楽しみを思ってはならない。
さもなくば悪魔が、あなたの心に生じるだろう。
心を内に向けよ。
そうすれば、あなた方は道を見つけよう。
忍耐と決意を持って瞑想するときは
輪廻の邪悪なものや
いつ訪れるかわからない死を思い浮かべ
世間の楽しみを渇望しないようにせよ。
そうすれば、勇気と忍耐が心に芽生え
あなた方は道を見つけよう。
修行の深遠な教えを懇願するときは
学識や、学者になることを求めてはいけない。
さもなくば、現世の行為と欲望が力を奮い
そして、この生そのものが浪費される。
謙虚でつつましくありなさい。
そうすれば、あなた方は道を見つけよう。
瞑想中にさまざまな体験が訪れても
得意になって、それを吹聴してはならない。
さもなければ、女神や母なる神をかき乱す。
怠惰になることなく瞑想しなさい。
そうすれば、あなた方は道を見つけよう。
グルに従うときは
グルの長所や欠点を見ようとしてはいけない。
さもなければ、欠点の山を見つけてしまうことになる。
信と忠実さによってのみ
あなた方が道を見つけよう。
ダルマの兄弟姉妹と
聖なる集いに出るときは
先に並ぼうと考えてはいけない。
さもなくば憎しみと渇望を生起させ
戒にそむくだろう。
自己を調和させ、互いに理解し合え。
そうすれば、あなた方は道を見つけよう。
村で施し物を乞う時は
偽りや搾取のために、ダルマを使ってはならない。
さもなくば、自分自身を低い道に落とすことになる。
正直で誠実でありなさい。
そうすれば、あなた方は道を見つけよう。
しかし何にもまして、いつでもどこでも、
決して思いあがったり、うぬぼれたりしてはならない。
さもなければ自己を過大評価して、
偽善で押しつぶされてしまうだろう。
欺きと偽りを捨て去れば
あなた方は道を見つけよう。
道を見つけた人は、恵み深き教えを人々に伝えられる。
こうして自他を助け、
「与えること」だけが、心に残るただ一つの思いとなる。
弟子たちは皆、大いに鼓舞され、修行に精進し、現世を放棄することを決意しました。そして彼女たちの心にジェツンへのゆるぎない信が確立されました。彼女たちは言いました。
「尊師に黄金の曼荼羅を布施させていただきたいのでございます。どうかそれをお受け取りくださり、見解・瞑想・行為の実践的な教えを授けて下さいますよう。」
ミラレーパは答えて言いました。
「私には黄金はいらぬ。あなた方が瞑想を続けていくために使うとよい。見解・瞑想・行為の教えについては、話そう。私の歌を心して聞きなさい。」
ああ、グルよ。
見解・瞑想・行為の模範たるお方、
どうか御身の祝福を下さり
自己の本然の領域に集中することができるよう
おはからいください。
見解と瞑想と行為と成就には
知っておかねばならない、三つの要点がある。
すべての顕現、宇宙の一切は心の中にある。
心の本性は輝きの領域
それは言いあらわすことも、触れることもできないものである。
これが見解の要点である。
さまよえる念は、ダルマカーヤの中では解放されており
意識性、つまり輝きは絶えず歓喜に満ちている。
労せず、努力せず、瞑想せよ。
これが瞑想の要点である。
自然に行なう行為では、
十の善は自然に成長する。
十の悪のすべては、それによって浄化される。
照らし出す空は、修正や矯正によって
かき乱されることはない。
これが行為の要点である。
向こうに、得るべきニルヴァーナはなく
こちらに、放棄するべき輪廻もない。
真にわが心を知るは
ブッダそのものになることである。
これが成就の要点である。
心の中で、これらの要点を一つにしなさい。
この一つになったものの空性
それは優れたグルだけが
明示できるものである。
多くの行為をなしても役には立たない。
サハジャの智慧をつかむなら
ゴールに達する。
すべてのダルマの実践者にとって
この説法は尊い宝石
これはヨーガの瞑想における、私の体験
ああ、わが子、わが弟子たちよ、
よく考え、これを忘れることなかれ。
それから弟子たちはミラレーパに尋ねました。
「私たちが理解しましたところでは、瞑想の道に沿った誤りのない道しるべは、自分のグルに、ひたむきに祈ることです。これをしのぐものが、まだ何かございますか?」
ミラレーパは微笑んで答えました。
「道しるべの木には、またたくさんの枝があるぞ。」
そして彼は歌いました。
グルと弟子と秘密の教え
忍耐と粘り強さと信心
智慧と慈悲と人間の体
これらすべては、常に道の案内人である。
心乱さず、妨害もなく、寂静の地に独居することが
瞑想を守る案内人。
成就したグル、ジェツンが
迷妄と無明を追い払う案内人。
悲しみや疲れがない信が
安全に喜びへと導く案内人。
五感は
「接触」から解き放つ案内人。
法統のグルの口伝の教えは
ブッダの三つの身体を例示する案内人。
守護者方、三宝は
欠点や過ちのない案内人。
この六人の案内人に導かれ
人はヨーガの幸福な境界に至り
無分別の境地にあって
もはやいかなる見解も、詭弁もない。
自己認識と自己解放の境地にとどまることは
まことに楽しく、喜びである。
人の住まない谷にとどまり
自信と智慧をもって、自分の道に生きる。
雷鳴のようにとどろく声で
楽しいヨーガの歌を歌う。
十方に降るは名声の雨。
慈悲の華と葉が咲き誇る。
覚醒の活動は宇宙を包含し
菩提心の清らかな果は、こうして円満となる。
弟子たちは、「今やジェツンにとっては、ご自分がどこにいらっしゃろうと同じなのだ。尊師を村に招待しよう」と考え、ミラレーパにこう言いました。
「尊師、尊師の御心はもはや変わることがないのですから、瞑想修行をなさる必要もないでしょう。衆生のために、どうか私たちの村を訪れ、私どものためにダルマを説いてください。」
ミラレーパは、
「独居して瞑想することは、それ自体で人々への奉仕なのです。私の心はもはや変わることはないが、偉大なるヨーギーが寂静の地にとどまることは、やはり良い伝統なのだ。」
と答えました。そして彼は歌いました。
修行によって、わがグルへの感謝を表します。
願わくば祝福をお与え下さり
私を成熟させ、解放させたまえ。
恵まれた弟子たち、ダルマに従う者たち
わたしが深遠なる真髄の教えを歌う間
一心によく聞きなさい。
高き雪山の偉大なる雌ライオンが
峰の頂に威風を放つ。
彼女は恐れることがない。
誇らしげに山に住む。
これが雪ライオンの道。
赤い岩にいるコンドルの女王は
広い空に翼を広げる。
コンドルは落ちることを恐れない。
空を飛ぶのがコンドルの道。
大海の深海で、魚の女王は
きらめきながら、矢のように泳ぐ。
彼女は恐れない。
泳ぐことが魚の道。
樫の木の枝で、機敏な猿たちは、
ぶら下がり、とび跳ねる。
猿は落ちることを恐れない。
それが野猿の道。
密林の、葉で覆われた天蓋の下
縞の虎は、歩き回り、疾走する。
恐怖やおののきのためではない。
それは彼女の気高い誇りをあらわす。
それが、恐れるものなき虎の道。
シンガ山の森で
われミラレーパは空を瞑想する。
理解を失う恐怖のためではない。
絶えざる瞑想がヨーギーの道。
瞑想するヨーギーは、惑いなく
ダルマダートゥの清らかな曼荼羅に浸る。
道に迷う恐れからではない。
自己の精髄をつかむことがヨーギーの道。
ナーディとプラーナとビンドゥを働かせるとき
彼は障害と過ちを避ける。
教えに欠点があるからではない。
それが真実の成就を達成する、良いやり方だからである。
自然に、心任せのふるまいをするならば
必ずや、数知れぬ浮き沈みにあう。
分別と二元的思考があるためではない。
すべてを明らかにするのが因果の本性だからである。
ヨーギーがカルマの力を示して、人を成長させるとき
善悪の両方を真実と見ているように見えるが
だがそれは、修行において迷ったからではなく
さまざまな人々に真理を説くためには
適切な説法を為さねばならないからである。
瞑想を成し遂げた偉大なヨーギーは
この世のいかなるものも望みはせぬ。
独居してとどまるという名声が欲しいからではない。
それは心から湧きあがる自然なしるし。
非執着と放棄の真の感情なのである。
深遠な道の教えを修めるヨーギーは
絶えず洞窟や山に住む。
世をすねているのでも、尊大なのでもない。
瞑想に専念するのが、己の道。
われ、木綿を着た者は、たくさんの歌を歌ったが
それは、きれいごとを歌って自分で楽しむためではない。
あなた方、ここに集う信の篤い信者のため
役に立つ、深遠な言葉を語るのだ。
そこで弟子たちはミラレーパに言いました。
「住むのはお一人かもしれませんが、食糧や、快適に瞑想するための住まいを持つことは必要です。」
ジェツンは答えました。
「私は自分の食べ物と住みかを持っている。では、説明しましょう。」
願いを成就させてくださるグルの御足に礼拝いたします。
願わくば御身の祝福を下さり、甘露を与えたまえ。
願わくば私のこの身体が、ブッダの住まいであると
悟らせてください。
願わくばこの明らかな叡智を授けたまえ。
恐れから、私は家を建てた。
空の家、存在するものの空性の家を。
もはや家が崩壊する恐れはない。
わたし、如意宝を持ったヨーギーは
自分のとどまるあらゆる場所で
幸せと喜びを感じる。
寒さを恐れて、私は衣を捜し求めた。
私の見つけた着物は、ア・シーの生命の熱
もはや寒さを恐れない。
貧しさを恐れて、私は富を捜し求めた。
私が見つけた富は、無尽の聖なる七つの宝石。
もはや貧しさを恐れない。
空腹を恐れて、私は食物を捜し求めた。
私の見つけた食物は、
タタター(真如、あるがまま)のサマーディ。
もう空腹を恐れることはない。
渇きを恐れて、私は飲み物を捜し求めた。
私が見つけた天の飲み物は
心のこもった酒
もはや渇きを恐れることはない。
孤独を恐れて、私は友を捜し求めた。
私が見つけた友は、ゆるぎなき空の歓喜。
もう孤独を恐れることはない。
道に迷う恐れから、私はたどるべき正道を捜し求めた。
私が見つけた大きな道は、二つが一つになる道。
もはや道に迷うことを恐れない。
私は、望むに値するものをすべて持つヨーギー。
どこにいても絶えず幸せな者である。
このユールモ・タクプ・センゲ・ツォンでは
雌虎が哀れな、震えるような声で吠える。
かよわき虎の子供たちが無邪気に遊んでいるのだろう。
彼らに大きな慈悲を覚えずにはいられない。
私はさらに修行に励まずにはいられない。
こうやって私は、菩提心を増さずにはいられない。
猿の哀れな鳴き声は
あまりにも印象深く、心を動かし、
私に深い哀れみを呼び起こさずにはいられない。
子猿のきゃっきゃっと鳴く声は、楽しく、また哀れだ。
それを聞くと、私は、自然と慈悲をもって考える。
カッコーの声は大変感動的で、
ヒバリの甘い歌声はあまりにも美しい響きを持っている。
歌声がすると、私は耳をすまさずにはいられない。
しかし、聞いていると、自然と涙を流してしまう。
カラスの様々な鳴き声は
ヨーギーにとって、有益なよき友である。
友が誰一人いなくても
ここにとどまるのは楽しい。
この幸せの歌を歌うと、
私の心からは、喜びがわき起こる。
願わくばすべての人の悲哀の暗い影が
わが喜びの歌で
追い払われますように。
弟子たちは皆、深く感動し、輪廻を断ち切る決心を固めました。そしてミラレーパに、決してこの山を去らないことを誓いました。その後、瞑想の修行をして、彼女たちは皆、完成の境地に達しました。
ある日、ミラレーパのイダムが、ミラレーパに、彼がチベットへ行き、そこで衆生を救うため、寂静の地で瞑想するときが来た、と告げました。イダムはまた、彼が人々を助けること、ダルマを広めることにおいて、成功をおさめるであろうことを予言しました。これによってこのころ、ミラレーパはチベットに行くことを決心したのでした。
これがユールモの雪山の物語です。